デビューから25年が経った女優・上戸彩が、1月31日放送「ザ!世界仰天ニュース」(日本テレビ系)にて、あまりの多忙ぶりに「逃げよう」と思った瞬間があったことを振り返った。
この日、番組では「時効直前まで逃亡した女SP」と題し、1982年に松山ホステス殺害事件を起こした福田和子など、日本の犯罪史に名を残す女性たちの半生を取り上げた。
スタジオゲストとして出演した上戸にとっても、逃亡したくなるような時期があったようで、芸能界入りから5年ほどが経過した17~18歳の頃。01年のドラマ「3年B組金八先生」(TBS系)でブレイクし、一気にスケジュールがパンパンになったある日のことだった。「ものすごく忙しくて寝られない生活が何年も続いてた時なんですけど、地方で仕事をしていて、渋滞で車が東京まで間に合わない。(帰路の途中の)熱海ぐらいで降ろされて、“1人で東京帰ってくれ”って」と、せめて上戸だけでも間に合うようにと熱海からは1人で東京に向かったという。
当時まだ高校生だった上戸は「もう眠いし、毎日結構なスケジュールだったので、反対車線の電車に乗ってやろうと思った」と“逃亡”を企てるも、「(あとで)謝るほうが面倒臭い」との理由で断念。「いい子に(東京へ)帰ったんですけど、あの時は本当に反対方向に逃げようと思った」と若き日を懐かしんでいた。
「上戸は『金八先生』への出演を機に様々な映画やドラマで大活躍し、04年にはCM起用社数が14社に達するなど、“CM女王”に君臨。後にインタビューで、当時の同ドラマ出演後のハードスケジュールについて『シャワーを浴びに帰れるかどうか、3時間眠れる日が月に何回あるかという生活でした。本当にありがたいことだけど、しんどかったですね』と説明。そうした日々を支えるモチベーションとなったのは『家族におうちを買いたいっていう夢があったので』といい、19歳の頃に母親にマンションを購入してプレゼントしたのだそうです」(芸能記者)
熱海での逃亡を思いとどまることができたのは、そうした家族への強い思いがあったからなのかもしれない。
(木村慎吾)