その言葉に違和感を抱いた視聴者も多かったようだ。
7月7日放送のNHK連続テレビ小説「らんまん」第70回では、主人公の万太郎(神木隆之介)が博物館に里中教授(いとうせいこう)を訪ねることに。そこで里中から、シーボルトの助手を務めた高名な植物学者、伊藤圭介の孫である孝光(落合モトキ)を紹介された。
圭介の著した「泰西本草名疏」を愛読していた万太郎は、孫の孝光に会えて大興奮。会話が弾むなか、万太郎が「大学は東京大学ですろうか?」と訊ねると、途端に孝光は機嫌を損ねていた。孝光と田邊教授(要潤)の間には「破門草事件」と呼ばれる、トガクシソウを巡っての確執があったからだ。
その場面で一部の視聴者からは、万太郎が発した質問を巡って疑問の声があがっていたという。
「現在なら相手に出身大学を訊ねるのはよくあることですが、本作の時代設定が明治16年(1883年)であることを鑑みれば、そもそもこの質問はありえないはずです。というのも当時、『大学』と呼ばれる高等教育機関は日本に東京大学ただ一つでしたからね」(週刊誌記者)
厳密にいうと、後に帝国大学に吸収される工部大学校は東京大学とは別に存在していた。また同年には明治政府から日本初のミッションスクールとして認可された立教大学校が設立されていたほか、明治13~16年には築地大学校という英学学校も存在していた。とはいえ植物学を学べるような大学はやはり東京大学しか存在していなかったのである。
高等教育機関という括りなら、万太郎の旧友・佑一郎(中村蒼)も卒業した札幌農学校(現・北海道大学)があった。また慶應義塾や、早稲田大学の前身にあたる東京専門学校もすでに存在していたが、それらの学校を「大学」と呼ぶことはなかったのである。
東京に東大以外の「大学」ができたのは、大学令が施行された翌年にあたる大正9年(1920年)のこと。ここで早稲田や慶應のほか明治、法政、中央、日大、國學院、一橋(当時は東京商科大学)などが大学へと昇格している。見方を変えれば明治時代の東京には事実上、東大以外の大学は存在していなかったのである。
「夏目漱石の『三四郎』では明治末期に主人公の小川三四郎が“大学”に入学します。当時、東京に大学は帝国大学(東京大学)しか存在していなかったので、三四郎は必然的に帝国大学の学生となるわけです。それゆえ明治時代には万太郎のように『大学は東京大学ですろうか?』などと質問することなどありえなかったんですね」(前出・週刊誌記者)
ちなみに伊藤孝光のモデルである植物学者の伊藤篤太郎は私費で英ケンブリッジ大学に留学し、帰国後に作中でも触れていた「破門草事件」が発生。すなわち史実とドラマでは順番が逆になっている。
それ自体は創作要素だからいいとしても、さすがに明治時代の学制まで創作するのはいかがなものか。東京大学を舞台にする物語として、この手の時代考証ミスはご遠慮いただきたいところだろう。