11月13日に老衰で死去された詩人、翻訳家、絵本作家、脚本家など、言葉と向き合うことを生業にしていた谷川俊太郎さん。92歳だった。
私は谷川さんのご自宅近くに住んでいた期間が長く、同じ商店街を利用していたので、お姿を目撃することが何度もあった。なぜか夏の暑い時期にお見受けすることが多く、いつも半袖のTシャツにジーパン姿で、無農薬野菜を選んでいるところに遭遇した。
そのうち谷川さんを取材する機会があり、ご自宅の書斎に入れてもらった。私設図書館のような、小動物が冬ごもりをする穴倉のような居心地の良さに長居してしまい、仕事そっちのけでいろいろな話をさせてもらった。
実はこれまでに商店街で何度もお見受けしていると伝えたら、「アラ、そうなの?恥ずかしい!」と、はにかんだ笑顔が今も忘れられない。消しゴムを使うことが面倒くさくて大嫌いだったから、パソコンの普及がとてもうれしいと言い、デニムの機能性と耐久性は仕事着としてぴったりなのに、なぜ会社勤めをしている人たちはスーツを仕事着にしているんだろうと、少し怒っているような表情をされていたのは、谷川さんに「日本で初めてジーパンをはいた人」という噂があるせいかもしれない。
乙女のような谷川さんとキャッキャッと話し込んだこの日も夏だった。谷川さんはいつお見受けしても「生」の輝きを放っていて、取材に伺った日はその輝きに目をつむってしまわないよう、かなり気をつけなければならなかった。毎日を普通に楽しく生きている人は、身体全体から光を放つのだと、取材をしていてつくづく感じた。
普通に楽しい毎日の積み重ねが「オーラ」を作るのだと思う。きっと谷川さんは、今も空の向こうで光を放っていることだろう。いつかまた、あちらの世界でお目にかかれる日が来ると信じたい。大好きな谷川さんのご冥福を心よりお祈りいたします。
(森山いま)