「8月25日にデビューして毎週オリコンチャートを気にしてたんだけど、98位ぐらいまでいってもまた103位になったり。全然行かないの。番組にいっぱい出てたのに」
1970年代後半、斬新な衣装と振り付けで爆発的なブームを巻き起こした女性デュオ「ピンク・レディー」の増田惠子(当時、ケイ)が、勝俣州和のYouTubeチャンネル「勝俣かっちゃんねる」に出演(5月23日付)。
ピンク・レディーのデビューシングル「ペッパー警部」(1976年発売)は60万枚の大ヒットを記録。だが、いきなりセンセーショナルなスタートを切ったわけではなく、リリース直後の売れ行きはイマイチだったと告白。“イケる”と確信したのは発売から3カ月後だったという。
「11月だったかな、新宿音楽祭っていうのがあって、確か武道館でやったの。その時に忘れもしない茶色っぽいスパンコールのホットパンツ、それと羽根をつけて出たんですね。そこで歌って踊ったら、会場からすごい反響があったの。それを私たちも肌で感じて、なんかイケる、なんか来たなって。そしたらその日から(ランキングが)ダーッと。思い出したら鳥肌立ってきちゃった」
「新宿音楽祭」とは、1968年から94年まで主に武道館で開催されていた新人歌手対象の音楽祭。ピンク・レディーが出場した76年は、みのもんたさんが司会を担当。最高賞の金賞には内藤やす子、新沼謙治が選ばれ、ピンク・レディーは銀賞を受賞した。
ちなみに、内藤やす子のヒット曲「想い出ぽろぽろ」はオリコンチャート9位、新沼謙治の「嫁に来ないか」は同31位が最高位。では「ペッパー警部」は何位だったかというと…。
「3位までしかいかなかった。実はその時(セカンドシングル)『S・O・S』が出てたから(11月25日発売)、『S・O・S』のほうが1位だったの」
こうしてピンク・レディーは大ブレイク、絶頂期を迎えるのだった。
(所ひで/YouTubeライター)