「愛ラブSMAP!」(テレビ東京系)がスタートすると、歌やトークはもちろん、コント、クイズなどでも体を張った。「スターどっきりマル秘報告」(フジテレビ系)に出演すると、超過激な“爆破どっきり”や、お笑い芸人さながらの罰ゲームも全力で挑んだ。
リアクション企画で、超怖がりの稲垣がジェットコースターの乗車を頑なに拒否すると中居は控室で、
「吾郎、チャンスなんだ。これをきっかけに、頑張っていかないと!」
と鉄拳を見舞った。
乗っていた車が爆破されるというどっきり企画では、仕掛けたチーフプロデューサーの部屋にメンバー全員で忍び込んで、トイレの便器のなかに巨大なカエルを隠したこともある。騙されたことが悔しすぎてその反撃をしてみせたのだ。
真剣だった。がむしゃらだった。気がつけば、男性アイドルの歴史を次々と塗り替えていた。
そもそも、91年元旦に東京・日本武道館で初ライブを開催し、そのおよそ8カ月後の9月にCDデビュー。つまり、デビュー前に武道館ライブを成功させているのだ。
3年後の94年元旦には、武道館の1日6公演を達成。同場所初の記録だった。98年、初のミリオンヒットとなった「夜空ノムコウ」をリリース(162万枚)。00年には「らいおんハート」(156万枚)、03年には、今年トリプルミリオンを達成した「世界に一つだけの花」を大ヒットに導いている。
大みそか恒例の「NHK紅白歌合戦」には、TOKIOと並んで23回も出場。7回も瞬間最高視聴率で1位を獲得し、03年には「世界に一つだけの花」でグループ初の大トリを飾っているが、さかのぼること初出場の92年には、「雪が降ってきた」でトップバッターを務めている。紅白の歴史のなかで、トップと大トリの両方を飾っているのはSMAPだけだ。
中居は97年、25歳の若さで白組司会を務め、最年少記録を更新。以降、6回にわたって大役をまっとうした。
木村は“視聴率男”の異名をとり、「ビューティフルライフ」(TBS系/00年)は最終回が41.3%の高視聴率をマーク。翌01年の「HERO」(フジテレビ系)は、民放連ドラ史上初となる全話視聴率30%超えを達成した。
香取の“慎吾ママ”は、00年の流行語大賞を受賞。草なぎと稲垣は年1ペースで、主演舞台に恵まれている。