姉・舞とは不仲が伝えられた時期もあったが、母の闘病生活を経て和解し、姉が母に代わり支えてきた。
「例えば休養問題。15歳から世界で戦い続け、体も心も金属疲労のような状態がずっと続いてきた真央ちゃんに、舞は休息を勧めていました。小さな頃から負けず嫌いで、とにかく跳びまくってうまくなり、いくつになっても努力を欠かさないタイプなことを知っているだけに、妹の体を気遣っていましたね」(スポーツライター)
他の競技では北島康介や谷亮子らが五輪までの4年間を上手に使うなか、浅田がリンクを離れることは、14-15シーズンまでなかった。
「大きな理由の1つが連盟の体質です。明らかに真央ちゃんの成長とともに資金を潤沢に増やしてきた。07年度に約3億5000万円だったものが、5年後には約13億5500万円でしたからね。大人の事情を無視し、キム・ヨナのように10年バンクーバー五輪後に休んでいればと言われました」(スポーツ紙デスク)
14年の世界選手権後、妹から「やめたい」と告げられた姉は、2人にとっての思い出の地を旅しながらリフレッシュさせた。しっかりと1年間充電し、16年4月の世界選手権の舞台に戻ってきた。
「舞ちゃんも初めて真央ちゃんの出場する世界選手権を観に行っています。『復帰してなかったら後悔していたと思います』という妹の言葉にうるうるしていましたね。胸元には2人のイニシャル『M』をデザインしたおそろいのペンダント。真央ちゃんがロシアのコーチからソチ五輪の前後にお守りとして2つもらい、舞ちゃんに『一緒に戦って』と言って渡したそうです」(民放記者)
今や「エース」の称号は宮原知子に移り、本郷理華、本田真凜、樋口新葉といった新世代が台頭。世界でも10代の新星が続々と登場している。
「復帰しないほうがよかったのかなと思っているときもありました。自分たちの時代は終わったのかなというふうにも思った」
と引退を示唆したこともある浅田。16年12月22日~25日の全日本選手権の結果しだいでは「電撃発表」があってもおかしくない状況だ。
引退か、それともボロボロになるまで「やり残した夢」を追いかけるのか──。どんな決断になろうと、ファンは心から拍手を送ってくれるはずだ。