子どもに対するネグレクトが社会問題化している。育児放棄までいかなくても、公園で子どもを遊ばせながら、母親が携帯に夢中になって子どもから目を離すという「スマホネグレクト」なる問題も発生している。アーティスト活動に没頭する松田聖子の場合は、「歌手ネグレクト」とでも言えるのかもしれない。
女優の神田沙也加と俳優の村田充が4月26日、沙也加の父で俳優の神田正輝との3ショットを添えて「結婚することになりました」と双方のSNSで発表した。これから家族となるほほえましい3人の写真だが、そこには、沙也加の母で歌手・松田聖子の姿はなかった。
「母親に対する憧れから、15歳で歌手デビューした沙也加ですが、当初は望んだ成果は得られませんでした。ただ、沙也加が歌手を目指したのは、憧れだけでなく聖子と同じ道を歩むことで、母と共有できる話題と時間が増えると思ったからでした」(芸能記者)
1985年1月に歌手の郷ひろみと破局後、6月に正輝と結婚し、すぐに妊娠。その間は休業したが、翌年出産したのを機に“アイドル歌手”から“アーティスト”の道を模索していた聖子。だが、迷走した時期もあった。
「正直、子育ては聖子の両親と正輝が担っていました。聖子は96年発表の『あなたに逢いたくて~Missing You~』まで、以前のようなメガヒットを飛ばすことができず焦っていました。また、米進出の夢も抱いていた聖子にとって、子育ては後回しになりがち。“ネグレクト”とまでは言いませんが、沙也加が母親の愛に飢えていたのは想像に難くない。しかも聖子は97年1月に正輝と離婚後、翌年の5月には再婚。2000年12月に離婚し、12年に再々婚。その間も数々のスキャンダルがありました。2度も新しい父親を迎えることになった沙也加をずっと支えたのが父親の正輝でした」
村田との交際についても、聖子は大反対していたといわれる。それを押し切って、神田を交えたおめでた写真を公開したことにも母娘の関係がうかがえる。
一時は“ママドル”としてもてはやされた聖子だったが、沙也加にとっては“遠くにいるアイドル”だったかもしれない。