全日本選手権で連覇を果たし、平昌五輪代表の座をつかんだフィギュアスケートの宮原知子選手。しかし、わずか2カ月前には、コーチから、5年後の北京五輪を目指そうと言われていたのだという。
「宮原選手は11月のGPアメリカ大会で復帰する予定でしたが、10月の段階ではまだ状態が上がっていなかったため、濱田美栄コーチが『焦らずに5年後を目指して練習していこう』と言っていたというんです。宮原選手に長くスケートを続けてほしい、故障をしっかり治してほしいという思いからの言葉だったそうです。そして、以前から誰よりも練習が好きで努力を重ねる子だと宮原選手を評していた濱田コーチは、宮原選手が焦ってジャンプを跳ぶなど、ハードな練習をさせないためにどうするか、考えてきたのだとか。宮原選手は、コーチの言うことを聞いていたものの平昌五輪を諦めたくないという強い気持ちで、ケガをしてからもその時々にできることを精一杯やり、努力を重ねてきたのです」(スポーツライター)
コーチによると、その姿勢は一切ぶれることなく、足が痛い時にはひたすらまっすぐ滑り、ジャンプが跳べない時はひたすらステップを踏むなど、続けることの難しい地道な練習を積み重ねていたという。
「宮原選手はシニアデビューの年、ソチ五輪の選考会である全日本では4位という結果で五輪に行けなかったことを本当に残念に思っていたようですね。その経験もあり、高校卒業時には、オリンピックに棲むという魔物について卒論を書いたほど。五輪への強い思いが彼女を支え、復活への力へと結びついていったのでしょう」(前出・スポーツライター)
辛い思いを乗り越えた宮原選手が、本番で大きく羽ばたく姿を見たい。
(芝公子)