日本映画界に欠かせない俳優に成長した岡田准一。昨年末には、女優の宮崎あおいとゴールイン。今年9月28日には、主演映画「散り椿」の上映を控える。34歳のとき、ジャニーズ初のアカデミー賞受賞俳優となったが、その萌芽は14歳ですでにあった。
日本テレビ系「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の「元気が出るジャニーズ予備校」に合格後、夏休みを利用して上京。すでに東京の高校への転校手続きがとられており、そのまま入寮した。以降、慣れない岡田を公私にわたって面倒を見たのが、当時すでに“剛健コンビ”として人気のあった三宅健と森田剛である。
「すぐに帰阪するつもりでやって来た岡田くんは白いオーバーオール姿で、リュックサックに入っているのはドライヤーのみ。お金もなく知り合いもいない。そんな彼に着替えのアンダーウエアを買い与え、大阪に電話をかけるためのテレホンカードを渡したのは健くん。以降も岡田くんは合宿所で勝手に健くんのアンダーウエアをはいたりしていたそうです(笑)」(芸能ライター)
関西人の岡田は納豆が苦手だった。気をつかう三宅は「こうやったら食べられるから」と臭みを抑える方法を伝授した。岡田は産まれて初めて「納豆はうまいもんなんだって(思った)」という。
「森田剛くんは夜食を作ってあげたり、寝ている岡田くんにパンやお菓子を食べさせて、いたずらしたり(笑)。彼は中学生の時点でズバ抜けたダンススキルだったため、まったくの未経験だった岡田くんに粘り強くダンスを教えてあげたといいます」(前出・芸能ライター)
白いオーバーオールは繰り返しはいていたため、どんどん汚れていった。そんなとき洋服を買ったり譲ってくれたのが井ノ原快彦。岡田は、V6というかけがえのないメンバーから手厚いサポートを受けて成長していったのだ。
(北村ともこ)