90年代にジャニーズJr.の黄金期を築いた立役者といえば、タッキー&翼の滝沢秀明。120名ほどいたJr.をまとめ、先頭に立っていた。
彼が作り出した伝説はいくつもあるが、代表的なもののひとつが、1998年2月に開催されたジャニーズJr.の初単独コンサート。正式にデビューしていないにもかかわらず、愛知・名古屋センチュリーホール、神奈川・横浜アリーナ、大阪城ホールの東名阪ツアーを満員にした。
「実はこれ、最初のコンサートではないんです。しかも、真の初コンサートの中心人物はタッキーではなく、V6の森田剛と三宅健の“剛健コンビ”でした」(アイドル誌ライター)
当時のことをアイドル誌ライターはこう振り返る。
「Jr.の単独コンサートは95年、新高輪プリンスホテル・飛天の間で行われています。飛天の間といえば、超大物芸能人の結婚式や『FNS歌謡祭』(フジテレビ系)の会場として有名。最大収容人数は2400名で、芸能人なら誰もが一度は立ちたいステージです。そんな夢舞台でメインを担ったのが剛健の2人。まだ16歳でした。つまりJr.人気のひな型は、剛健が作ったんです」
このことはV6メンバーの岡田准一もラジオ番組で口にしている。そもそもV6は、剛健人気を不動のものとするために結成されたようなものだ。
「三宅は中2、森田は中3でジャニーズ事務所に入所しています。ジャニー喜多川社長から『V6やらない?』と真っ先に言われたのは三宅。でも、森田がいないことを知ると、『(森田がいないなら)やりたくない』と断っているんです。ジャニーさんは『お前、剛が入っちゃったら、1番になれないじゃない。それでもいいわけ?』と聞くと、三宅は『それでもいいから、剛を入れてほしい』と直談判して、V6は2人を中心にスタートしました」(前出・アイドル誌ライター)
V6内の弟ユニット「Coming Century」として人気を博した森田&三宅&岡田。そんな3人も今では30代後半となり、森田は女優の宮沢りえと、岡田は同じく女優の宮崎あおいと新婚生活を満喫中。伝説の美男子Jr.はもう、一家の大黒柱なのだ。
(北村ともこ)