昭和の大女優の逆襲か。11月8日発売の「週刊新潮」が、かつての恋人である西城秀樹さんに対する、女優・十朱幸代の思いに迫った。
昭和を代表するアイドルの西城さんが63歳の若さで亡くなったのは、今年5月。その西城さんと“昭和の大ロマンス”を報じられたのが、十朱だった。
「1989年9月、西城さんと十朱の熱愛疑惑が写真週刊誌で報じられました。当時、西城さんは34歳、十朱は46歳。今でこそ珍しくはありませんが、当時は年齢差が開きすぎているので世間からは好奇な目で見られていました」(芸能記者)
2人の熱愛は世間を賑わせたが、90年の半ば以降はデート現場が目撃されることもなく、沈静化。92年にはラジオ番組で西城さんが「あれはもう、2年前に終わりましたよ」という発言で、終止符が打たれた。
ところが、10月5日に発売された十朱の自叙伝「愛し続ける私」には実名こそ伏せてあったが、西城さんとの関係の真相が語られていたのだ。
「西城さんとは、婚約発表会見を1週間後に行うところまでいったそうです。しかし、出産できる年齢ではないなどと両家の親族から反対され、十朱自身、先に進めなくなったといいます。特に西城さんの実姉が、親が孫の顔を見られないからと猛反対。これにはさすがの西城さんも参ってしまい、結婚を断念したというのが別れの真相のようです。十朱自身、この悔しい思いを世間にわかってほしくて打ち明けた可能性が高いと思います」(前出・芸能記者)
子供が一番のネックになったようだが、今の時代であれば状況は変わっていたのだろうか。
「今年6月、自民党の二階俊博幹事長が『子供を産まないのは勝手な考え』と発言。しかし人の価値観はそれぞれで、結婚して子供を産まない、子供が産めなくても結婚するというのも1つの選択肢だと批判が続出しました。結婚に対してリベラルな考えが浸透してきている今でしたら、西城さんと十朱も前に進めたかもしれません」(前出・芸能記者)
当時のように“傷だらけ”にならなくてすんだのかもしれない。
(石田英明)