タッキー&翼が9月に解散したことによって、ジャニーズ事務所のデュオはKinKi Kidsだけとなった。KinKiといえば、関西ジャニーズJr.から誕生してビッグアーティストとなった第1号。関ジャニ∞、ジャニーズWESTがその後に続いたのは、KinKiの輝かしい実績があったからだ。堂本剛&光一は歌手デビュー前から連ドラの主演を務め、社会現象と呼ばれるほどの高視聴率を獲得。ほかのJr.に比べると、挫折は少ない。
そんな2人の師匠といえば、SMAPだ。入所直後からおよそ2年バックダンサーを務め、92年には「紅白歌合戦」(NHK)に出たSMAPから、「KANZAI BOYA」(カンサイボーヤ)と紹介されている。KinKiに改名されたのは、翌93年4月。「キスした?SMAP」(テレビ朝日系)で紹介されている。
「KANZAIからKinKiに落ちつく過程で、4人組の“ジパング”として歌手デビューするプランがありました。ジャニー喜多川社長は、近畿出身者による4人組にしたかったそうですが、剛と光一がまたたく間に人気が出たため、カルテットは幻で終わりました。ちなみに残りの2人は、東京都出身のV6・井ノ原快彦と神奈川県出身のTOKIO・長瀬智也。ジャニーさん、関西出身者というのをすっかり忘れちゃったみたいですね(笑)」(芸能レポーター)
Jr.時代、長瀬は井ノ原と仕事をすることが多く、プライベートでは剛&光一としょっちゅう遊んでいた。剛は、ジパング結成⇒デビューという噂をファンから聞き、身構えた時期があったという。
「でも結局、“関西”から“近畿”という強いこだわりがあったのか、他県出身の長瀬と井ノ原はメンバーからはずされました。このとき長瀬は、『俺はこの2人とは一緒にやらないんだぁ』と感じ、ショックを受けたといいいます」(前出・芸能レポーター)
デビューの年次はTOKIOが94年、V6が95年、Kinkiが97年。“元スーパー高校生”KinKiが、結果的にはいちばん遅かった。今では、この3組すべてが紅白出場歌手。ジパング時代の活動や噂を笑って話せるようになったに違いない。
(北村ともこ)