昨年末で芸能界を引退し、新たに創設された株式会社ジャニーズアイランドの社長に収まった「タッキー」こと滝沢秀明。かつて座長を務めていた和のエンターテインメント舞台「滝沢歌舞伎」で右腕だったジャニーズJr.たちを一挙に請け負う形で、日々Jr.の管理・育成に尽力している。
8月8日には、自身がトップだった時代からおよそ19年ぶりに、Jr.だけによる東京ドーム公演が開催された。SixTONES、Snow Man、Travis Japan、HiHi Jets、美 少年、7 MEN 侍、宇宙Six、MADE、なにわ男子、Lilかんさい、Aぇ!Groupといった人気ユニットほか、総勢300名を超えるJr.が結集。チケットは完売し、ネットオークションで高値取引されたことからも、人気の高さがうかがい知れる。
アーティストにとって東京ドームは、国内トップのひのき舞台。そのビッグステージで、Jr.史上唯一卒業セレモニーを執り行なった美少年がいた。
「当時のJr.で、見識者が声をそろえる美少年は滝沢。ですが、その牙城を崩す勢いだったのが、すでに芸能界を引退している小原裕貴さん。学業に専念することを理由に、2000年に退所宣言。同年、Jr.は東京ドーム、ナゴヤドーム、大阪ドーム(現・京セラドーム大阪)という初の3大ドームツアーを成功させていますが、東京公演で小原さんが引退。こんなにも盛大なセレモニーで送りだされたのは、後にも先にも彼だけです」(アイドル誌ライター)
在籍期間は、およそ9年間。10年以上先輩のバックダンサーを務めても、日の目を見ないJr.が大半であることを考えると、小原さんがいかにVIPだったかがわかる。引退後はあまたの元Jr.たちと異なり、大学へ進学して、大手広告代理店の博報堂に就職。結婚して、2児のパパになった潔さも、神格化された理由といえよう。
現在は、博報堂DYメディアパートナーズのエンタテインメントビジネス局に転籍。昨年は、AKBグループで瀬戸内海を中心に活動するユニット・STU48のプロジェクトに一時的に加わった。
「小原さんはデビューを待たずして引退しましたが、見事にグループ結成、デビューにいたった元KAT-TUNの赤西仁も、タレントやファンの間では神と化しています。グループ脱退、事務所退所、女優の黒木メイサさんと結婚して、すぐにパパとなり、ソロアーティストとして世界進出。そのサクセスストーリーは、現ジャニの羨望の的です。映画評論サイト『TC Candler』選出の“世界で最もハンサムな顔100人”で、13年から17年までノミネートされたのも、ジャニーズ唯一です」(前出・アイドル誌ライター)
赤西はそもそも、Jr.オーディションで落選している。番号札を返却するため、「おじさん、どこに返せばいい?」と聞いた相手が、偶然にも故・ジャニー喜多川元社長。そのうえ、番号札が1番だったことで、「YOU、残っちゃえば?」とジャニー氏から直で入所許可を得た。
運を味方につけられるか否かが、スターの分かれ目。小原さんと赤西は、伝説のJr.と呼ばれるにふさわしい強運の持ち主だったといえよう。
(北村ともこ)