ジャニーズ事務所の前社長である故・ジャニー喜多川さんは、所属タレントたちを我が子のようにかわいがったことで有名だ。車での送迎や食事の調達は当たり前。ジャニーズJr.の育成に熱心だった晩年も、毎日両手で抱えきれないほどの差し入れを持って、レッスン場や劇場のどこかに姿を現していたという。
しかし、ジャニーさんも人間。子どもたちの扱いに差をつけることもあった。それが徐々に、事務所の現場スタッフに蔓延。大きな格差を生んでしまった。その対象になったのがV6の「トニセン」こと20th Centuryだという。ジャニーズ担当の芸能記者が振り返る。
「坂本昌行、長野博、井ノ原快彦によるトニセンは、Jr.時代から“剛健コンビ”としてすさまじい人気だった森田剛と三宅健に、最年少の岡田准一を加えたComing Century(カミセン)と差別されていました。デビュー後、カミセンには社用車による送迎がありましたが、トニセンは渋谷駅に集合して電車で移動。95年にリリースされたデビューシングル『MUSIC FOR THE PEOPLE』のジャケット写真は、下部で小さめがトニセン。2枚目の『MADE IN JAPAN』になると、ついにカミセンのバックに立たされました」
カミセンは、V6誕生と同時に命名された。ところがトニセンは、デビュー後も無名のまま。弟分で10代のカミセンに対抗すべく、無理やり付けられたのは「アダルトチーム」。この5、6年後、ジャニーさんに「僕らにも名前を付けてくれ」とお願いして、ようやく「20th Century」という造語をもらえた。ちなみに、20世紀を意味する「20th」を提案したのは、近藤真彦だ。
「結果的に差はつけましたが、だからといってジャニーさんは、トニセンを嫌っていたわけではありません。現に坂本には、V6より1年先にデビューしていたTOKIOへの加入を打診していますし、長野には光GENJIがデビューしたあと、『YOUを入れれば良かった』と後悔の念を打ち明けています。井ノ原には10代のころからJr.オーディションの現場に来させるなどして、信頼を寄せていました」(前出・芸能記者)
カミセンは、「町がパニックになる」という理由で若い女性が集まる渋谷で遊ぶことを禁止されていた。反してトニセンは、何の規制もなかった。細くてタレた目がチャームポイントの井ノ原にいたっては、ジャニーさんから「整形しちゃえば?僕はとめないよ」と言われている。
ジャニーさんに振り回された悲しきアイドル、トニセン。今では3人だけで豪華ディナーショーを開催できるまでになっている。今年は東名阪のハイランクなホテルを周って、価格は4万5000円。お値段もしっかり“アダルト”級だ。
(北村ともこ)