自身のギャラ交渉だけでなく、挙句には給与システムそのものを会社に変えさせてしまった猛者も存在する。
今やテレビで見ない日がないほどに番組ラテ欄をジャックするお笑いタレントの有吉弘行や、元HKT48の指原莉乃らが所属する太田プロは、かつて若手芸人に給料制を敷いていたが、当時お笑いコンビ・U-turnとして大ブレイクしていた土田晃之の粘り強い交渉によって、歩合制へとシフトチェンジ。仕事量と実力でギャラが変動することから、売れなかったドン底時代の有吉は“勘弁してくれよ!”といった心情だったとされるが、給料制を廃止したことで所属芸人のモチベーションアップに繋がった事実は言うに及ばずだろう。
「土田はフジテレビの人気番組だった『タモリのボキャブラ天国』でその知名度を急上昇させるも、共演していた他の事務所の芸人が次々に高級外車を乗り回す中、給料制だった為にいつまでも20万円前後のお金しか貰えない自身の台所事情に疑問を感じ、事務所に直訴したそうです」(テレビ誌ライター)
また、アンタッチャブルやアンジャッシュ、ドランクドラゴンなどが籍を置くプロダクション人力舎に、「芸人8割、事務所2割」という夢のようなギャラの配分体制をとらせたのがおぎやはぎの矢作兼である。
周囲から“人付き合いの天才”とも称され、芸人への転身前には優秀なエリートサラリーマンだったという矢作はある日、事務所のアシストを受けることなく仕事のオファーを勝ち取ることができている現状を理路整然と会社に説明し、「実質、事務所は何もしていない」と訴え、会社とタレントの取り分を大幅に改善させたという。このエピソードは人力舎所属芸人の間では伝説として語り継がれており、芸歴に関係なく、同事務所内での矢作の人望が圧倒的にズバ抜けているキッカケとなった逸話だ。
他にも矢作は、芸人の世界に蔓延する過度な上下関係を嫌い、人力舎内では先輩後輩を分け隔てることなくラフに接することを提唱。その結果、矢作よりも芸歴が1年先輩のアンタッチャブル・ザキヤマに対してタメ口で話し、率先して人力舎特有の“ゆるさ”を作り上げるなど、給与システム以外でも大きな社内改革を成し遂げていた。
ダウンタウンのように、自他共に認める実力やカリスマ性があってのことだろうが、キャイ~ン天野ひろゆきのように、中にはデビュー前から強気の姿勢で“カネの交渉”に挑んだケースもあることから、やはり勇気を持って声を上げることは待遇の改善に向けて大きな効力を発揮するのかもしれない。
(木村慎吾)