11月3日に主演映画「ラストレシピ ~麒麟の舌の記憶~」、来年には木村拓哉との初W主演映画「検察側の罪人」の公開を控える嵐の二宮和也。昨年は、出演作「母と暮せば」で「第39回 日本アカデミー賞」の最優秀主演男優賞を受賞し、ジャニーズではV6・岡田准一に続く快挙を成し遂げている。
クリント・イーストウッド監督の映画「硫黄島からの手紙」でハリウッドデビューをはたしたのは11年前。今では演技派俳優として誰もが知る存在だが、入所およそ2年後には、大きな壁にぶち当たっている。テレビ情報誌の記者はこう証言する。
「14歳のときに出演したドラマ『天城越え』(TBS系)です。松本清張の代表作をドラマ化したものですが、女優の田中美佐子が契情婦を演じ、ニノは彼女と恋に堕ちる少年役。初のドラマでした。撮影時は極寒でしたが、物語の設定は盛夏。薄い浴衣を着て、吐く息が白くなっては困ると、氷をなめさせられたそうです。履いていたのはワラジ。親指と人差し指のあいだが切れて、出血していたとか。そんななかで撮った、少年が引き返そうか、トンネルの向こうに行こうかと悩むシーンが、ぜんぜんOKにならない。朝の8時から夕方5時すぎまで、何度も撮り直しが行われました」
メガホンを取った大岡進監督はNGの理由を口にせず、ひたすらリテイクを言い渡した。その間ずっと、主役の田中は車のなかで待機。監督から「おまえが謝ってこい」といわれた二宮は、「申し訳ないですが、明日(の撮影)になります。今日の撮影、すみません」と、大女優に頭を下げた。
「ニノはとにかく怖くて、悶々としたそうです。田中や共演者の柳沢慎吾は『このままやっていけば、おまえは売れるから大丈夫だ!』と、逃げ出してしまわないよう必死で励ましたそうです。嵐がCDデビューしたのは、その翌年(1999年)。デビューシングルの『A・RA・SHI』をテレビで歌っている姿を観た柳沢は、ビールを飲みながら『ニノ、おめでとう!』と祝杯をあげたといいます」(前出・テレビ情報誌記者)
今は、TBSの演出家でテレビプロデューサーの大岡氏。なぜ何度もリテイクを出したのかはわからぬまま。だが、それによって二宮がカベにぶつかり、俳優として大きく成長したのは間違いない。彼は20年前、原石の二宮に何を感じていたのだろうか。
(北村ともこ)