主演映画「ラストレシピ~麒麟の舌の記憶~」で、一度食べた料理を完全に再現できる天才料理人を好演した嵐の二宮和也。2015年公開の映画「母と暮せば」で第39回 日本アカデミー賞の最優秀主演男優賞を受賞しているように、その演技力は高く評価されている。ラストレシピで調理シーンを代替なしでやりきったのはさすがと言えるだろう。
だが、二宮の俳優デビューは散々なものだったという。
「1998年のドラマ『あきまへんで!』(TBS系)で連ドラデビューを果たした二宮ですが、日刊スポーツが主催する『ドラマグランプリ』の新人賞を獲れませんでした。その年、新人賞に選ばれたのは先輩の今井翼。二宮は深田恭子に次ぐ3番手。前の年は上位3人をジャニーズのタレントが独占していたため、よけいに二宮が悪目立ちしてしまったのです」(スポーツ誌記者)
このとき二宮はジャニー喜多川社長から「新人だから、いいとか悪いとかはもちろんあるかもしれない。けど、それを踏まえた上で、君は固定客(ファン)があるでしょ? あなたには他の活動を見て応援してくれている人がいるのに、なんで1位を獲れないの? なんでジャニーズなのに人気ないんだよ」とこっぴどく怒られたという。
翌99年に嵐として歌手デビュー。以降、二宮は数々の作品に起用され、役者経験を積んだ。そして06年、クリント・イーストウッド監督の映画「硫黄島からの手紙」のオーディションを突破して、ジャニーズ初のハリウッド俳優となる。
「2007年には主演ドラマ『拝啓、父上様』(フジテレビ系)で、第10回 日刊スポーツ『ドラマグランプリ』主演男優賞を初受賞。しかも、SMAP時代の木村拓哉の主演ドラマ『華麗なる一族』(TBS系)を押さえての戴冠。辛酸をなめた日から9年越しでリベンジを果たした格好になりました」(前出・スポーツ紙記者)
「拝啓、父上様」は、脚本家の倉本聰氏が二宮を主役にするという条件で書き下ろされたという。今やジャニーズ屈指の演技派俳優となった二宮だが、ここに至るまでには逆境の日々があったのだ。
(北村ともこ)