ジャニーズ事務所のオーディションを受けたお笑い芸人は多い。トレンディエンジェルの斎藤司は、髪の毛がふさふさだった19歳の時に履歴書を送付したものの返事はなかった。長州小力も同じく、書類審査で落選。アンジャッシュの児嶋一哉はそれに納得できず、2回も送った。
回数でその上を行くのは、フジテレビの倉田大誠アナウンサーで、7回も送ったという。ジャニーズファンだったぺこぱのシュウペイは、書類審査に合格していたが実母に隠されており、その事実をバラエティ番組の本番中に聞かされた。
名作の主演を張る俳優も、かつてはジャニーズに縁があった。柳楽優弥は中学生の時に元TOKIOの長瀬智也のドラマを観て、ジャニーズ入りを志した。
「書類審査は通過したのですが、実際に連絡があったのはその1年後。すでに現在の事務所に所属して、デビュー作の撮影に入っていたので、ジャニーズのオーディション会場に足を運ぶことはありませんでした」(芸能ライター)
その映画が「誰も知らない」。同作で柳楽は、04年の「第57回カンヌ国際映画祭」コンペティション部門で史上最年少(当時14歳)、かつ日本人で初めて男優賞を受賞。同年の「TIME」誌アジア版の「2004 Asia’s Heroes」に、日本人でイチローと並んで選出された。
ジャニーズJr.として、実際に先輩のバックダンサーについていたのは城田優。ジャニー喜多川氏が小銭をどっさりテーブルに置き、「ジュース買っていいよ」と飲み放題にしていた貴重な時代を経験している。在籍したのは、11~12歳と高校生の時。退所後は、ワタナベエンターテインメントの若手男性俳優集団「D-BOYS」に加入。190cmの高身長とスペインとのハーフである濃い顔で、ミュージカルの世界で開花。「文化庁芸術祭」演劇部門の新人賞、「読売演劇大賞」で優秀男優賞、「菊田一夫演劇賞」ほか、名誉ある賞を数々獲得した。
勝地涼は、Jr.のレギュラー番組「8時だJ」(テレビ朝日系)の公開オーディションで合格している。
「書類審査を通過して、指定されたNHKのリハーサル室に行くと、鏡を掃除しているおじさんがいた。オーディションが始まると、おじさんが『私がジャニーです』と自己紹介。ジャニーさんと振付師が『やる気のある子はいちばん前で踊って』と言ったので、前列を陣取ったのですが、そこで不合格になっています」(前出・芸能ライター)
翌年、瀬戸朝香のマネージャーからスカウトされて芸能界入り。キャリアはすでに20年を超えた。
1枚のスナップ写真でジャニーズの狭き関門をクリアしていた柳楽、城田、勝地。10代ですでに才覚は芽生えていたようだ。
(北村ともこ)