Kis-My-Ft2の藤ヶ谷太輔は苦労人だ。ジャニーズ事務所に入所したのは小学5年生だったが、キスマイとしてCDデビューするまでに13年もかかっている。メンバー7人のなかで、ジャニーズJr.歴がいちばん長い。
しかし、入所時はとんでもない強運を発揮している。親が勝手に履歴書を送ると、書類審査を通過。親から言われた日時・時間に東京・渋谷のNHKの大きなリハーサル室に行くと、オーディションが開かれていた。終了して、合格者の番号をホワイトボードに書き込んでいる男性に、「すみません。このネームプレート、どこに返せばいいですか?」と話しかけると、その相手がジャニー喜多川社長。「YOUは初日に僕に話しかけるなんてすごいよ!」と、ホワイトボードの右端に藤ヶ谷の番号が書き足された。追加合格だった。
「その後、ジャニーさんはみんなの前で『ボクが世界のジャニーです』とカミングアウト。しかし、ジャニーさん自体をよく知らない素人の男子ばかりなので、その場はシーン。ジャニーさんは『ツッコミもできないようじゃ売れないよ』と素人相手に厳しかったそうです」(アイドル誌ライター)
スタートダッシュが好調すぎた藤ヶ谷だったが、望んで入所したわけではないため、すぐにサボることを覚えた。当時ジャニー氏は、レッスンが終わると複数のジュニアを率いてファミレスに連れていった。藤ヶ谷が中学生の時、ある土曜日の夜に誘われた。しかし、翌日の日曜日は朝から友だちと遊ぶ約束があったため、断った。「明日、歯医者がある」と嘘をついた。
「よく考えると、日曜・祝日は歯医者が休み。すぐに嘘がバレてしまい、『YOUは嘘つきだ』と言われて、その日を境に仕事に呼ばれなくなりました」(前出・アイドル誌ライター)
ところが、高校生になった頃、大人気ドラマ「3年B組金八先生」(TBS系)のオーディションに声をかけてもらった。すでに高3だったため、「俺には関係ない」と勝手に判断して、オーディション会場の控室にいると、ジャニー氏が血相を変えて飛び込んできて、「YOU何やってんの? YOUのためにオーディション開いたのに、行かないなんてあり得ない! YOU、チャンスだよ」と激怒。結局、キャスティングから漏れた。
その後は、大学受験をして明海大学経済学部に進学。在学中にドラマ出演、嵐のバックダンサーとしてビッグチャンスをつかんでいき、キスマイが結成。A.B.C-Zと人気を二分するジュニアの人気ユニットとなり、大学卒業後の24歳でCDデビューを果たした。
不合格でスタートした藤ヶ谷のジャニーズ人生。ジャニー氏の目利きは正確だった。
(北村ともこ)