タレントの篠原ともえが11月9日、「文化服装学院×HOTSOX11/09」の記者発表会に参加。かつて一世風靡した“シノラー”ファッションについて回帰願望を明かした。
ファッションデザイナーとしての顔も持つ篠原は、文化服装学院の学生と共演。“シノラー”としてブレイクした当時、篠原は文化女子大学(現・文化学園大学)短期大学部服装学科の学生で「90年代に自身でスタイリングして、創作していた“シノラー”ファッション時代は学校に通う女子大生だったんです」と明かした。
学生からの質問コーナーで「今でも以前のような“シノラー”ファッション、カラフルで派手なファッションをしたい思いはありますか?」との質問を受けた篠原は、「ありますよ」と回答。当時のファッションを回顧しながら、「ファッションはTPOに合わせるのをすごく大事にしている。当時のシノラーのTPOはカラフルなアイテムが大切だった。今日は学生さんが主役なのでモノトーンにコーディネートさせた。華やかなステージの時は、思いっきりカラフルなファッションを楽しみたい」と語った。
ネット上では、《シノラーのファッションは確かに当時は奇抜だったが、ひとつひとつの選び方、身につけ方、捕らえ方のセンスは今見ても圧倒されるレベル》《篠原さんってもともとかなりの才能というか、個性がたくさんある人でしたからね。あの奇抜なシノラーもその一つで、芸能人としての能力が高かった印象》《奇抜なキャラ設定すると破綻するのも早いけれど、篠原ともえさんは長期継続できていたことが凄いと思いました》など篠原の才能を評価する声が続出した。
「篠原は“シノラー”時代、お団子頭に前髪を短く切りそろえ、手作りのアクセサリーやランドセルなど奇抜なファッションで強烈なインパクトを与えていました。当時は無理してキャラを演じていたのではなく、『テレビの世界に飛び込むという夢が叶い、完全に舞い上がっている少女の姿がそのまま画面に映し出されていた感じ』と15年の雑誌のインタビューで語っており、計算も演出もゼロだったとのこと。シノラーブームが過ぎたあとも短大のデザイン科で学び続けた結果、ファッションの仕事も増え、14年には松任谷由実のコンサート衣装のデザイナーにも抜擢されています」(芸能記者)
いつか、大人になって進化した“シノラー”ファッションも見てみたいものだ。
(柏原廉)