芸能プロ「浅井企画」で最もエリートとされた“最速ブレイク”コンビについて、同事務所のずん・飯尾和樹が同期としての立場から、その思いを語っている。
芸歴33年を誇る飯尾がもはや“嫉妬すらできないレベル”だったと振り返ったのは、キャイ~ンの2人(天野ひろゆき、ウド鈴木)。
「出会って2年後にはもう『いいとも!』に出てた」とのことで、23歳にして人気番組「笑っていいとも!」(フジテレビ系)にレギュラー出演していたというのだ。飯尾がそんなキャイ~ンの数々のエピソードについて明かしたのは、「かまいたちの知らんけど」(MBS)のさる4月28日放送回でのこと。何でも、キャイ~ンの快進撃は当時としては異例のケースで、飯尾いわく、ライブでも2人のネタは爆笑をかっさらい、「いろんな大きいライブにキャイ~ンは呼ばれるようになるんだよ。早かったねぇ」とブレイクのスピードに感心。
一方の飯尾は30歳になっても鳴かず飛ばずで「浅井企画の在庫品」と自虐し、その同時期にもキャイ~ンは「紅白にも行って」と、戦うステージが変わり始め、差は広がるばかりだったとか。飯尾によれば、当時は「“差”どころじゃないよね。同じコースを走ってないんじゃないかっていうぐらい」と表現し、「ひがみみようがなかった。面白かったし」と同期の活躍を潔く受け入れていたようだ。
「浅井企画におけるキャイ~ンの存在はレジェンド的な立ち位置にあって、事務所の重鎮である関根勤も一目置いていたほど。デビューの発端は、天野が書店で立ち読みをしていたタレント名鑑に記載されていた新人募集ページで、実際に電話をしてみたところ、即採用が決定。また、見た目とキャラにインパクトがあるウド鈴木という強力な相方にも恵まれた天野は、まだキャリアが始まってもいない段階で『大卒平均くらいの給料をもらえないなら、芸人はできません』といきなりの強気なギャラ交渉を展開したんです。他の事務所なら、アルバイトで生計を立てるのが普通な新人時代ですが、天野は当時の事務所の事情を加味した巧みな交渉力で、その要求が受け入れられたようです。その後、ベテラン芸人の萩本欽一から『ウドは売れるだろうけど、お前は売れない』と言われる数少ない“挫折”を経験するも、天野の才能はすぐに開花。同期のずんには追いつけないほどの速度でブレイクしていくことになりました」(テレビ誌ライター)
また、デビュー4年目にしてヒット番組「ウッチャンウリウリ!ナンチャンナリナリ!!」(日本テレビ系)のレギュラーに抜擢されたことも、キャイ~ンの全国的な認知度を高めるキッカケとなった。
現在では飯尾も売れっ子の一人として活躍中だが、新人時代のキャイ~ンはライバルとしてはやや強敵すぎる存在だったと言えそうだ。
(木村慎吾)