高校時代の思い出深き東京湾の猿島(神奈川県横須賀市)に来ている。この島は江戸末期から昭和期まで東京湾を守る要塞島だったため、島内には戦争遺産が残されている。前回はそれらを巡る有料ガイドツアーに参加。塁道の切通しまで来て、いよいよ参加者だけが見学できる施設内に入るところだった。
赤レンガ塀に設えたフェンスが開かれ、室内に入る。中は真っ暗闇で、ひんやりと冷たい。ガイドさんが懐中電灯をつけると室内は蒲鉾のような半円形で、奥に長いことがわかった。
「ここは兵舎で20名ほどが寝起きしたそうです。壁も天井も白漆喰で塗られているのは少ない照明でも明るさを保つ工夫です」
次に案内されたのは、隣の弾薬庫。室内は兵舎と同じ白漆喰で塗られているが落書きの酷さに閉口した。いっそ塗り直してはと思うが、この落書きやその行為も時代を語る歴史ということで残されているらしい。
弾薬庫の壁には奥に長い長方形の窓がある。点灯窓といいガラスをはめて火気厳禁の室内と区切りを作り、ガラスの向こうからランプなどを灯して照明にした。ランプなどの点灯・消灯に使う通路も残っている。
室内には弾薬庫の上に設置された砲台まで砲弾を上げた竪穴(揚弾井)もある。
「砲弾一発の重さは150キロ近くありましたが、つるべ井戸のように滑車を使って効率よく持ち上げたそうです」
竪穴の下から見上げると壁にはクッション代わりの木材を取り付けた何本もの溝があった。万一、砲弾を落としたら…。さぞ、緊張したに違いない。
切通しの先には全長約90メートルのトンネルが待つ。総レンガ造りで、内部には地下施設も設けられていた。
この後は東端の卯ノ崎台場跡や展望台広場などを巡り、出発地の管理棟へ戻った。テラス席に陣取り、持参したビールをグイッとあおる。ダイビングで捕まえるはずだった魚は、弁当の魚フライと魚肉ソーセージになったが、高校時代のリベンジは成功としよう。
帰りの船に乗り、三笠公園に戻ったら、桟橋近くの世界三大記念艦「三笠」に寄り道してみる。日露戦争の日本海海戦でバルチック艦隊に勝利した日本海軍の旗艦で、現在は公園に固定され記念艦になっている。
東郷平八郎司令長官らが海戦時に指揮を取った最上艦橋に上がると屋根も壁もない、吹きさらしだったことに驚く。床には士官たちの立ち位置が示されている。東郷司令長官の位置に立ち、猿島を眺めた。
内田晃(うちだ・あきら):自転車での日本一周を機に旅行記者を志す。街道、古道、巡礼道、路地裏など〝歩き取材〟を得意とする。