番組MCとして確固たる地位を築いた関ジャニ∞・村上信五。番組改編前の3月には通常のレギュラーに加えて、特番の司会を3本もこなした。その安定と人気は盤石のものになりつつある。
ジャニーズグループの中でも関ジャニは、特に下積み生活が長い。年長の村上はジャニーズに入所してからも、家族のせいで厳しい生活を強いられたという。
「村上は10代のころ『家にいたら家族に身ぐるみをはがされる』というひっ迫した思いで、早々にひとり暮らしを始めています。以降、実家に帰るたびに、家のなかの物がなくなっていく様子を見ており、変わらぬ貧乏ぶりに頭を抱えたそうです。当時は控室にいるときも実家から金を催促する電話がかかってきて、そのたびに携帯を持って廊下に出ていき大声で会話しているところを、メンバーは何度も見ています」(アイドル誌ライター)
ジャニーズ事務所に入所後、ショーの勉強のためにと、ジャニー喜多川社長がアメリカに連れて行ってくれた。村上は現地で高さ1メートルほどのコーラ瓶を模した貯金箱を購入。実家で貯金するためだ。以降、帰るたびに、少額ながらも硬貨を投入していったが、いっこうに貯まる気配がない。おかしいなと思って開封すると、銀色の硬貨(50円玉と100円玉と500円玉)が抜き取られ、茶色の硬貨(10円玉)だけが残っていたそうだ。
「やったのはおそらくお父さんの仕業です。というのも、父は以前にもやらかしたことがあるからです。かつて村上は、弟にゲームソフトやCDを勝手に売りさばかれたことがあったので、きつめに叱責しました。それを見ていたお父さんが割って入り、『それはワシや。バス代足らへんから、ちょっと借りたわ』と犯行を認めたのです。お父さんは村上が幼いときからずっと、金にだらしなかったとか」(前出・アイドル誌ライター)
村上家といえば2014年、母親が社長を務める会社が無断増築を行い、大阪市から行政指導を受けた。この工事代金の支払いをめぐって、下請け業者から訴えられかけたこともあった。村上もこの会社に取締役として名を連ねている。
村上はかつて関ジャニ内で、自虐と自戒、親しみを込めて「銭ゲバ」と命名されている。自身が笑いのネタのために定着させたものだが、そのウラには、金策で辛い思いをした少年期があったのかもしれない。知ってしまうともう、銭ゲバ発言で笑えないかも!?
(北村ともこ)