俳優の山下智久が4月16日、ジャニーズとしては初めてインスタグラムをスタートした。山下は18年に中国版ツイッターと言われる「微博」のアカウントを持っているが、インスタまで開設はジャニーズとして極めて異例のことだ。
それを可能にしたのは山下のジャニーズにおける特殊なポジションかもしれない。NEWSでグループデビューしたあと、脱退してソロへ転向。同じくグループを抜けた森内貴寛や草野博紀は事務所を辞めることになっているが、山下は今なおジャニーズに所属し、俳優と歌手の2足のワラジを穿いている。
そんな立場を築くことができたのは、11歳からジャニーズで英才教育を受けてきたせいだろう。しかし、実は山下は表に出ていない“前歴”があるという。
「ジャニーズに入る前、オスカープロモーションで子役だったんです。96年に公開されたオムニバス映画『心霊』の『サーファーの死』に出演しています。海水浴に来た小学生の役で、しっかりセリフもありました。さらに、『タモリ倶楽部』の大人気コーナー『空耳アワー』のVTRに出ていたというウワサもあります」(アイドル誌ライター)
山下は小学生のころ、元タッキー&翼・滝沢秀明の主演ドラマを観て、ジャニーズへ“転職”。入所後は、あこがれの滝沢と2人1組になって、先輩のバックダンサーとして地方公演を一緒に回った。移動や宿泊はもちろん、生活にいたるすべてのことを滝沢から教わったため、「足を向けて寝れません」と振り返る。
さらに偶然にも、その滝沢もジャニーズ入所前、他事務所に在籍していた過去があった。
「“山P”の名づけ親の滝沢はジャニーズに入る前は子役でした。芸名は『指田秀明』で、お母さんの旧姓を名乗っていました。ジャニーズ入所後、すでにお母さんは現在のお父さんと再婚していたので、現姓の“滝沢”に改めました。ちなみに、旧事務所はオスカー。山Pと運命の赤い糸でつながっていたとしか思えません」(前出・アイドル誌ライター)
“美の創造大国”として芸能事務所の上位に君臨しているオスカー。米倉涼子や上戸彩、剛力彩芽や岡田結実、藤田ニコルほか多くの有名女優・タレントを抱えるが、20年以上も前にはタッキーと、山Pが籍を置いていたのはかなり意外だ。
“永遠の美少年”と言われて久しい2人がオスカーに残留していたら、芸能界の分布図は変わっていたかもしれない。
(北村ともこ)