ジャニーズ事務所の創業者・ジャニー喜多川氏が87年の人生に幕を下ろした。息を引き取った7月9日から数日間は、ジャニーズタレントの歴代ヒットソングがテレビから流れた。稀代のエンターテイナーの死去は、日本のみならず、世界を揺るがす衝撃だった。
一代で帝国を築いた立志伝中のジャニー氏。最後の最後まで現場人間で、昏倒した6月18日の前日までジャニーズJr.の舞台稽古に立ち会っていたという。徹底した裏方人生でメディアに出ることを忌み嫌ったが、その反面、大胆すぎる手法で表舞台に立っていた。アイドル誌のライターが明かす。
「題字という形で、CDジャケットに参加していたのです。その作品は、99年11月3日にリリースされた嵐のデビューCD『A・RA・SHI』です。誰もが口ずさめるあの曲のジャケット写真は、下部がメンバー5人で、上部にはデカデカと“嵐”の1文字が達筆に書かれています。文字の大きさに違和感を覚えますが、その筆を取った人こそがジャニーさんだったのです」
ジャニー氏なりの“子ども”である嵐への愛情だったのか。文字で参加するのはきわめて稀だ。さらにこの「嵐」は、新たなギフトを生んでいる。
「嵐が、それまではジャニーズJr.として、先輩のバックダンサーで出ていた『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)に初めて、ジャニーズの新星グループとして単独出演したとき、セットに巨大な“嵐”の文字がありました。それは、ジャケ写をドでかく拡大したジャニーさんの直筆1文字だったのです。メンバーは、背後からジャニーさんに見守られる形で、初の歌唱をしたのです」(前出・アイドル誌ライター)
初出演時に着た件の「スケスケ衣装」は、その後20年にわたってイジられることになった問題作。デビュー時に着用したのは、この「Mステ」の1回きりだが、相当なインパクトを残した。
この衣装にはもともと、白いTシャツのようなインナーがあった。ところが、出番ギリギリになって「YOU、脱いじゃいなよ」とジャニー氏が進言したことによって、嵐はマッパに近い状態で本番に臨んだ。局内でジロジロ見られる苦痛に耐えた結果、今でも“スケスケ”は語り継がれているというわけだ。
ジャニー氏はこんな未来まで予想していたのかもしれない。残念なのは、今後はそれを確認できないことだ。
(北村ともこ)