ジャニーズグループ唯一のバンドだったTOKIOが、山口達也の脱退によって活動を休止して1年が過ぎた。現在、音楽活動は休止中。山口の担当だったベースを欠いた状態では再開不可能のため、このままフェードアウトする可能性が高い。
そんなTOKIOはもともと音楽志向ではなかった。光GENJIのバックダンサー「平家派」として、TOKIOの年長である城島茂、山口、国分太一、V6の年長である坂本昌行、長野博、井ノ原快彦の6人で誕生。のちに「SMAP学園」に名を改め、わずかながらも、いまは解散したSMAPのサポートメンバーを務めた。
その後、ギターを弾ける城島とベースができる山口が、「アイドル共和国」(テレビ朝日系)に出演。「城島茂バンド」を名乗った。やがて「TOKIO BAND」に改名。バンドとなったからにはメンバーが必要だというジャニー喜多川社長の発案によって、キーボードの国分、ドラムの松岡、リズムギター兼ボーカルの小島啓さん(現在はすでに退所)が集った。しかし、ここで事件が起きた。
「結成当初の90年、センターは器械体操の経験があり運動神経が抜群の小島さんでした。濃い顔立ちの正統派アイドル。そんな小島さんを中心とした5人で、ダンスと演奏を練習。91年には、2.5次元ミュージカルのはしりといわれるSMAP主演の『聖闘士星矢』に出演して、2大アイドル誌の『明星』(現『Myojo』)と『平凡』(休刊)の表紙を飾り、CMにも抜てき。大きな仕事に恵まれたのですが、デビュー発表記者会見の場にいたのは、小島さんではなく長瀬。突然の交代劇があったのです」(アイドル誌ライター)
バンドが本格始動した94年1月には、コンサートツアーが成功。5月には、大阪・松竹座で1日10回公演・全席完売というジャニーズ初の記録を樹立している(当時)。満を持した7月、TOKIOはCDデビュー記者会見を行う。小島が座るはずだったメインボーカルの席についたのは、それまでサポートメンバーとしてタンバリンを叩いていた15歳の長瀬だった。
予告なしの小島脱退、センター&ボーカル交代は衝撃的だった。気になる理由は諸説あるが、真実は依然として明らかになっていない。
割を食ったのは、長瀬だ。
「会見からデビューシングル『LOVE YOU ONLY』が発売されるまでのおよそ2カ月、メンバーは長瀬新体制になじもうと必死だったそうです。納得がいかないのは、小島さんのファン。あるライブの終演後には、熱狂的な小島さんのファンが長瀬さんに生卵をぶつけたことがありました。15歳の子どもだった長瀬は、深く傷ついたことでしょう」(前出・アイドル誌ライター)
その長瀬だけが現在、単独でレギュラー番組を抱えていない。メンバーイチ音楽志向が強く、自宅マンションに録音・録画機能を携えた部屋をもうけているほど。長瀬は弾けない・歌えないうっ憤をどこでどう晴らしているのだろうか。
(北村ともこ)