元タレントの坂口杏里容疑者が8月28日、交際していた30代男性の自宅マンションに不法侵入した疑いで逮捕された。世間では「またか」という反応だが、その一方で一部の報道で明かされた「本名:野沢瑞恵」に注目が集まっている。
その杏里は、人気女優だった故・坂口良子さんの長女で、良子さんの生前には母娘共演を果たしたことも。そのためメディアでは「本名:坂口杏里」と紹介されることも多かったが、下の名前はともかく苗字までが芸名だったことには驚きの声が出ているようだ。
「55年生まれの母・良子さんは86年に不動産業を営む田山恒彦氏と結婚。ここで杏里と弟が生まれましたが、田山氏が良子さんを保証人にして借金を重ね、94年に離婚した際には40億円もの借金を背負うことに。それでも売れっ子女優だった良子さんはわずか10年でこの借金を完済しました。その後はプロゴルファーの尾崎健夫と事実婚を続け、杏里が成人した12年に入籍しています。そのため杏里が尾崎姓でないことは確かですし、生まれた時は田山姓だった可能性が高いものの、離婚の経緯を考えれば母娘ともに旧姓に戻していたのは確実。ただその旧姓が坂口ではなく野澤だったことは、世間にはほとんど知られていませんでした」(芸能ライター)
1971年にミスセブンティーンコンテストでグランプリを受賞したことをきっかけに芸能界入りした母・良子さん。デビュー当初から“坂口良子”を名乗っており、娘の杏里も坂口姓を受け継いでいたことから、ほとんどの人は“坂口良子”が本名だと思っていたはずだ。だが当時の事情を考えれば、坂口が芸名であることはむしろ当然だという。
「母・良子さんは堀越高校が1973年に開設した芸能コース(現・トレイトコース)の一期生で、同級生には郷ひろみや野口五郎がいました。そして当時の芸能界では誰しもが芸名を名乗るのが当たり前であり、郷は原武裕美、野口は佐藤靖が本名だったのです。その後は本名をそのまま名乗る芸能人も増えましたが、近年でも綾瀬はるかのように本名非公表のケースは珍しくありません」(前出・芸能ライター)
ではなぜ、杏里は芸名で坂口を名乗るようになったのだろうか。芸能ライターが続ける。
「芸能界では子供が芸能デビューするに当たり、親の七光りを活かすために芸名を引き継ぐことがあります。有名な例は多岐川裕美の娘で、中学生で芸能デビューした多岐川華子でしょう(本名は大内)。ただ杏里の場合はちょっと事情が異なるはず。というのも母・良子さんの離婚歴が広く知られているため、世間には娘の杏里が母親と同じ坂口姓になっているとの認識があり、そこで野澤を名乗ってしまうと坂口母娘としては不都合だったのでしょう」
自らの不祥事により、親子二代で隠し続けてきた本名が表に出てしまった杏里。母の故・良子さんは草葉の陰で何を思っているだろうか…。
(白根麻子)