結成15周年アニバーサリー5大ドームツアー「十五祭」を大成功で終えた関ジャニ∞。7年連続8回目となる本ツアーでは、ツアー最終となる9月3日・東京ドーム公演で、通算観客動員が1000万人を突破した。
今では、ドームアーティストとして不動の地位を築いている関ジャニ。ここまでの道のりは、平たんではなかった。CDデビューを果たした翌05年には、NEWSと兼任していた内博貴が、未成年飲酒を報じられて芸能活動を停止、のちにグループから脱退した(現在は俳優)。昨年は、村上信五、横山裕と中学生時代からの親友だった渋谷すばるが、ソロの音楽家転身を理由に脱退。昨年いっぱいでジャニーズ事務所も辞め、10月9日に待望の1stソロアルバム「二歳」をリリースして、音楽活動を再開させる。
8人から6人に減少した関ジャニ。そしてついに錦戸亮も9月いっぱいでジャニーズ事務所を退所すると発表した。
そんな錦戸には、以前にも芸能界を引退しようとしたことがあるという。
「錦戸は入所直後の中学生のとき、メンバーで一番仕事が多く、地元の大阪から1人で東京に行くことがあるほど活躍していました。そこで調子に乗ってしまい、16歳で干され気味になったんです。ヤケになって大阪で遊びほうけていました。そんなとき、『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)で、同期の安田章大と丸山隆平が歌っている姿を見て、芸能界を辞めようと決めたそうです」(芸能関係者)
それを引き止めたのは、安田。電話で「おまえは(Mステを)見てたかもしらんけど、俺らもお前のこと見てたし、もうちょい頑張れよ」と告げ、錦戸を思いとどまらせた。
「実は安田は関ジャニのキーマンなんですよ。97年入所のヤス、マル、錦戸、大倉忠義はオーディションが一緒でした。その日のヤスは、受験者全員に住所と電話番号を聞いて回って、勝手に住所録を作ったそうです。それに救われたのが錦戸なんです。履歴書に書いた自宅の電話番号が間違っていて、事務所の人が何度電話してもつながらずに困っていたとき、ヤスが『あの子の電話番号わかります』と教え、錦戸は晴れて関西ジャニーズJr.になれたのです」(前出・芸能関係者)
安田は錦戸だけではなくさらに大倉も救っている。Jr.時代、仕事がなかった大倉を、「ダンスもできるからドラムもできるはず」とジャニー喜多川社長に推薦したのだ。偶然、グループからドラム担当者が脱退したこともあり、大倉の加入が即決した。
ジャニーズタレントとしての未来に絶望していた同期を2人も助けた安田。キーマンがいなければ、今日の関ジャニは誕生しなかったといえる。錦戸と大倉は、安田に一生頭が上がらない!?
(北村ともこ)