嵐・大野智が、物心がついたころから好きだったのは絵を描くこと。キャンバスを自分の配色で染めていき、粘土でさまざまなものを作った。
14歳でジャニーズ事務所に入所したあとも、暇を見つけては描いていた。それを褒めてくれたのが、ジャニー喜多川氏。「YOU、どんどん描いたほうがいいよ」という“父”の導きもあって、嵐の活動のかたわらで、作品集を出版、個展を開催した。
芸術肌の人間は偏りがひどいと俗にいわれるが、大野の場合は食に表れた。事情通のアイドル誌ライターは言う。
「偏食ならぬ『変食』なんです。18歳で嵐としてデビュー。めまぐるしい生活に変わったのは22歳のときでした。朝・昼・晩の1日3食がコッペパンだった時期がありました。基本、撮影や収録現場ではホットミール、お弁当が余剰なほど用意されていますが、パンだけで乗りきったのです。しかしある日、マネージャーがかきフライ定食を食べているのを見ると、一変。翌日から、かきフライばかり食べたそうです」
食への興味がとかく薄いが、小学生のときに大好きだったのは、母親が作るホワイトシチュー。とろみがあり、コーンが必ず入っていた。食べやすさを意識した母の愛情か、具は小さめ。大野はオトナになってから自分で作ったが、気づけば具は子ども用サイズに切っていたという。
「大野家では、シチューを白いごはんにかけて食べるのが定番だったそうです。友人の家に遊びに行ったときにシチューを出され、全員がスプーンで食べているのを見て、『ずいぶんおしゃれな食べ方してんなぁ』と戸惑ったとか。偶然にも、“オンザライス”で育ったのは相葉雅紀。メンバー同士、話が合ったことでしょう」(前出・アイドル誌ライター)
白米の上に何かを乗せて食べるのが好みだったのか、大野の変食は加速する。なんと、板チョコをスライサーで粉々にして、ごはんの上に乗せて食べることにハマった時期があった。いわく、「デザートだと思えばおいしい」。
この“ヘン食”には、さすがの相葉も共感できなかったようだ。
(北村ともこ)