タレントの小堺一機が5月24日に放送された「爆笑問題の日曜サンデー」(TBSラジオ)にゲスト出演し、自らの40年以上にわたるキャリアを振り返る中で、師匠である勝新太郎のいわゆる“「影武者」降板騒動”について、その真相を明かした。
小堺は大学卒業後に、勝新太郎が主宰していた演劇学校“勝アカデミー”に第1期生として入校。当時、勝は黒澤明が監督し、外国版プロデューサーとしてフランシス・フォード・コッポラやジョージ・ルーカスが名を連ねるスペクタクル巨編「影武者」で主人公・武田信玄役を務めるはずだった。
だが撮影開始直後に、黒澤と衝突して降板。日本を代表する映画監督と映画スターの決裂は、昭和芸能史に残る事件と一つと言われている。
その大事件を「朝、新聞を見て知った」という小堺。ちょうどその日は、勝新太郎が授業に来る日でもあり、同級生だったルー大柴らとともにドキドキしながら待っていたという。同級生たちが「俺たちペーペーには話さない」という中、小堺は「勝さんはその場を盛り上げようとする人だから、俺たちにも話すはず」と確信。すると小堺の読み通り、授業に現れた勝は生徒たちを前に、「違う話を聞きたいって顔してるな」と“世界のクロサワ”と決裂した真相を語り始めたという。
「何で俺が、影武者を降りたか分かるか」という勝の問いかけに、「芝居のポリシーが合わなかったから?」と生徒が答えると、「俺は、武田信玄の衣装を着ていた」と勝は静かに言ったという。黒澤明の方針で、リハーサル中やカメラテストの間もずっと勝には信玄の衣装を着させていた。そして撮影の仕方を巡って黒澤と勝の意見が対立した際、「私服だったら謝った。だが、俺は信玄なんだ!武田信玄に黒澤明が何を言う!」と勝は言い放ったというのだ。
小堺は続けて、「みんなその場では『ははー』と感心したけど、帰りの酒場では『ちょっとおかしくねえか』と首をひねった」と当時の感想を明かした。
世界配給の予定もあり、勝新太郎が個人で立ち上げた勝プロにも莫大な収入が入るはずだった。それを勝の謎のこだわりですべて台無しにしてしまったことに、勝のスタッフも最初は理解できなかったが、“勝新太郎はそういうタイプの人”とみんな納得したという。
また、仲裁に入った仲代達矢からは「ここは駒になるんだ」とアドバイスされるも、「天才同士、両雄は並び立たなかったんだろう。二人がちょっとずつ、譲歩すればよかったのかもしれない。ここでは言えないもっと怖い話もあるけどね」と笑わせた。
「この話を聞いて、番組MCの爆笑問題・太田光も“すごい!”と感嘆していました。またこの日は、小堺のお笑いの師匠でもある萩本欽一との出会いや中継レポーターを務めていた『ザ・トップテン』で共演した堺正章との話など、芸能界のレジェンドに師事してきた小堺ならではのエピソードの数々がモノマネを交えて語られました。同日夜には27年続いた伝説のラジオ番組『コサキンDEワオ!』が一夜限りの復活。“意味ねー”ハガキと言われる、リスナーからのおバカネタや下ネタで大いに笑わせてくれました」(エンタメ誌ライター)
31年続いた「ライオンのごきげんよう」終了後、地上波で見かけることが少なくなったようにも思えるが、そのトークの才能でまだまだ楽しませてほしいものだ。
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