1999年代なかば、中性的なファッションが大流行。そのきっかけを作ったのは、「フェミ男」と呼ばれた武田真治やいしだ壱成だった。その武田が、“フェミ男ファッション”がいかにして誕生したかを明かし、当時を知る人たちを驚かせている。
武田は6月20日放送の「嵐にしやがれ」(日本テレビ系)のワンコーナー「武田真治記念館」にゲスト出演し、自身の半生を語った。その中で“フェミ男”と呼ばれた時代について触れ、いかにしてあの奇抜なファッションが誕生したのかを告白したのだ。
「武田らが流行らせたフェミ男ファッションを代表するアイテムといえば、小さめのTシャツ。『チビT』や『ピチT』と呼ばれました。ワンサイズ小さなものを着るのが基本で、中には女性物を身につける人も。アクセサリーも女性らしいアイテムを使っていました。このフェミ男がきっかけとなり、のちの『草食系男子』に繋がっています」(ファッション誌編集者)
一大ブームを巻き起こしたフェミ男。ファッション業界により練りに練って生み出されたブームかと思いきや、武田によると真実はそうではないようだ。番組でフェミ男について聞かれた武田は当時、「お金がなくてメーカーが提供してくれるものを着ていた」「女子でも着ないような売れ残りを無理やり着ていた」と明かしている。
「簡単に言えば在庫処分をしたわけです。人気のモデルに着させてブームを作り、売れ残りをはけさせようと考えたのかもしれません。武田によれば流行したのはたまたまで、明確な販売戦略があったわけではないようです」(芸能ライター)
中性的なフェミ男から筋肉ムキムキ男子へと変貌を遂げた武田真治。その歴史の裏にはさまざまな業界の思惑がうごめいていたようだ。