7月9日はジャニーズ事務所の創業者・ジャニー喜多川氏の3回忌だった。2019年にくも膜下出血のため死去した同氏。生きていれば89歳だ。半世紀以上にわたって原石を発掘しつづけた稀代の芸能プロモーターは、生涯独身を貫いた。
ところが、ひとつ屋根の下で過ごした女性はいた。かつてジャニーズ合宿所の寮母も兼務した一般女性だ。
「合宿所は古くは原宿ではじまり、その後都内の高級住宅街を転々としました。すべてはジャニーさん所有のマンション。同じ棟内にジャニーさんが住んでいたこともあり、数人の寮母さんがジャニーさん宅の家政婦も兼ねていたそうです」(週刊誌記者)
寮母さんの1人は、ジャニー氏の葬式に参列していたという目撃談がある。半世紀以上お世話をしていたため、全幅の信頼を寄せられていたに違いない。
合宿所がもっともにぎわっていたのは、のちに嵐、関ジャニ∞となる東西のジャニーズJr.たちが大勢いた90年代後半。関西ジャニーズJr.では、96年9月に15歳だった渋谷すばる、12歳の丸山隆平が入所。12月に14歳の村上信五、15歳の横山裕が入った。渋谷、横山、村上はすぐにKinKi Kidsの大阪のライブでバックダンサーとしてステージに立った。関東のJr.には松本潤、二宮和也、相葉雅紀がおり、先の3人との計6人で合宿所生活を送った時期がある。
合宿所といっても2部屋。ざこ寝状態で、6人で1つのユニットバスを使わざるを得ず、村上は二宮と、横山は相葉と入浴していた。寝ても覚めても同じメンバーだったため、渋谷は部屋に鍵をかけて籠城。10代のみんながストレスを抱えていた。
「6人いたのに、朝食で用意されたフレンチトーストは2枚だけということがありました。Jr.は仕事量や時間帯がバラバラ。人数分を用意した時に余ったため、ジャニーさんから少な目に作るよう指示されたのかもしれないというのが関ジャニの推測です」(前出・週刊誌記者)
ジャニー氏は、自分の部屋にいても、関東のJr.と違って騒がしい関西Jr.の部屋に「YOUたち、うるさいよ」とニコニコしながら入ってきて、雑談に加わった。それは寮母さんいわく、「仲間に入りたくて(うるさいと)言ってた」ようだ。
関ジャニのひと世代前にあたるKinKiの頃から、寮母さんはいた。ジャニー氏の胃袋をつかんでいただけあって、料理が上手。堂本光一はチャーハンが大のお気に入りで、連日食べることがあっても飽きがこなかったほど、絶品だったという。
ジャニー氏もジャニーズのメンバーも寮母さんには頭が上がらなかったのかもしれない。
(北村ともこ)