お笑いコンビ・ロッチの中岡創一が1月3日深夜放送の「しくじり先生 俺みたいになるな!!お正月SP」(テレビ朝日系)に出演。一時、芸人を辞めていた過去を明かした。
中岡は「頑固なのに優柔不断なせいで、いろんな人に大迷惑かけちゃった先生」として登場。相方のコカドケンタロウも同伴し、授業を展開した。
中岡は授業冒頭で22歳から5年間、芸人を辞めて工場で働いていたことを告白。吉本興業が運営している大阪NSC(吉本総合芸能学院)の16期生として入学後、“天才ピン芸人”と呼ばれるほど笑いを取っていたという。NSC卒業後はトリオを結成し、舞台に上がっていたが、4年目に初めての彼女ができてわずか2カ月後に「彼女を幸せにするために俺は芸人を辞める」といって彼女との結婚を目指し、父親のコネで愛知県の工場に就職。しかし、それは彼女から結婚の承諾を得たものではなく、中岡の勝手な思い込み。彼女、父親両方に芸人を辞めることを反対されながらも頑固ゆえに行った“しくじり”だったという。
月収は芸人時代の2000円程度からいきなり手取り30万円に。大阪にいる彼女とも月1、2回会う遠距離恋愛を続けた結果、4年半で300~400万円の結婚資金を貯めることに成功。中岡はいよいよ結婚を切り出したものの、彼女の答えは「結婚は考えられない」というものだった。結局、中岡は芸人としての夢も彼女との結婚も失う羽目になってしまったのだ。
しかし、大阪NSCの2期先輩で友人だったコカドから電話がかかってきたことがきっかけとなり、ともに沖縄旅行へ。それが2人にとってとてつもなく楽しかったことで中岡は再び芸人になることを決心。ところが父親に伝えた瞬間に殴られ、さらに「何考えてんねん! 今後、中岡を名乗るな! お前はもういらん、出て行け!」と絶縁されてしまったという。
その後、中岡は工場を辞めて上京することになったが、辞める前に2度、趣味の草野球で骨折し、3カ月で上京するつもりが1年に延び、コカドとロッチを結成し、芸人として再出発したもののがネタが覚えられず1年間スベりまくるなど“しくじり”放題。さらに1年後には「芸人辞めたいわぁ」と思い始めたことも告白し、スタジオの共演者達から呆れられる始末。しかし、コカドの優しさや助言が中岡を導いてくれていることに気づき「一生コカド君の言う通りにしよう」と決意したという。父親とはその後も絶縁状態が続いていたが15年のキングオブコントで3位を取った後、手紙が届いたことで和解ができたのだとか。
「番組内でも触れられていましたが、コカドはネタが覚えられない中岡に対して怒ることもなく、“想定内”として寛容な態度を見せていただけでなく、覚えられない中岡のために手紙を読むだけのネタも作って“リハビリ”していたことも明かしています。コカドは16年放送の『ゴッドタン』(テレビ東京)でも同様のエピソードを披露していますが、なぜ中岡とのコンビを解消しなかったのかと聞かれて『決めてたんです。この人だって。最後は中岡君とやってダメなら辞めよう』と答えていました。それだけ中岡に期待していたのでしょうし、受け止めるだけの器の大きさがあったのでしょう」(芸能記者)
ネットでは《コカドめっちゃいい人だなと思った。包容力があるんだなぁって。中岡は幸せ者だよ》《コカド君、神様みたい人だと思った。怒らないし優しいし》《コカドさんの優しさにただただびっくり》などコカドの人柄に絶賛の声が集まった。
中岡のしくじりエピソードから思わぬところでコカドの株が上がったと言えそうだ。
(柏原廉)