公開中の映画「前科者」で、森田剛が殺人事件の容疑者という難役を演じている。森田といえば昨年、俳優としてのスキルを高めるためにV6から脱退。ジャニーズ事務所も退所して、妻で女優の宮沢りえと個人事務所「MOSS」を設立した。V6は、昨年11月1日のコンサートで26年の歴史に幕を下ろした。
夫婦は、16年に上演された故・蜷川幸雄氏の演出舞台「ビニールの城」の共演を機に交際して、18年に結婚。ともに蜷川作品に出演していたことが、距離を縮めた理由のひとつだ。蜷川氏は、「ビニールの城」の稽古に入る前に、肺炎による多臓器不全で永眠。恩師の逝去が、2人の絆をより強固にしたのかもしれない。
“世界のニナガワ”は、森田だけでなくこれまでに多くのジャニーズタレントの運命を変えてきた。木村拓哉もその1人。ジャニーズに入所した翌88年にSMAPのルーツとなるスケートボーイズを結成し、翌89年に蜷川氏の舞台「盲導犬」でステージデビュー。練習では「こんなとこまで来てアイドルの芝居するな。バカヤロー!」と怒鳴られ、「もう1回」とやり直しを命じられること10日間。稽古の帰り、ストーリーの軸となる新宿のコインロッカー付近をリアルに通った時、気分が悪くなったほど心身ともに疲弊していた。
ジャニー喜多川氏は、所属タレントのなかから将来性を見越した数名をピックアップして、蜷川氏に会わせた。木村もそうだった。先駆けは元男闘呼組の岡本健一。19歳で蜷川舞台の厳しさと奥深さにふれた。ジャニーズでは嵐の松本潤、KAT-TUNの亀梨和也と上田竜也も“鬼の演出家”の稽古で震えあがっている。そんななか、嵐の二宮和也だけは違った。
「04年に出演した『シブヤから遠く離れて』の稽古中、蜷川さん恒例のダメ出しがありました。でも、二宮は素直に受け入れることができず、『あー、なるほどね』と居丈高な対応を取りました。すると蜷川さんは激高して、ニノを追いかけ回したそうです。二宮は『ごめんなさい』と謝りながら走って逃げるしかなかったとか」(舞台関係者)
森田は伴侶と出会って結婚し、木村は俳優としての自我が芽生えたと振り返り、二宮は変人役者ぶりを見せつけた蜷川作品。世界のジャニー×世界のニナガワの化学反応は、現在のエンタメの礎といっていい。
(北村ともこ)