お笑いコンビ・オリエンタルラジオの中田敦彦が10月26日、「あちこちオードリー」(テレビ東京系)にゲスト出演。20年まで所属していた吉本興業と揉めた過去を明かした。
番組で中田はオリエンタルラジオとして05年にデビュー以来、紆余曲折あった芸能生活を述懐。その中で09年にレギュラー番組が全て終了し低迷、16年にRADIO FISH名義で「PERFECT HUMAN」がヒットとなったが、その後については「(再び低迷しないかという)焦りでしょうね。会社と揉めた所はデカいと思いますよ」と言い、その後も「揉めちゃいけない揉め方ってあるんですよね。揉めたらこれはもう戻れねえなって思いましたよ、テレビには」と一時期は深刻な状況だったことをうかがわせた。
さらに19年に始めたYouTubeについても「(再びテレビ出演が減り)絶望のふちでギリやったっていう感じ」と告白。「先見の明がどうこうとか向いてるどうのこうのじゃなくて、単純に何もやることねえし、どうしようで、スマホでなんかやってみるかっていう感じですね」と追い詰められた結果だったことを明かした。
ネット上では、《テレビ出なくても、YouTube大成功している》《コンビの時、藤森が円滑になるように裏でいろいろサポートしてたんだろうな》《吉本とはそんな深刻な揉め方してたんだ》などと、さまざまな感想が寄せられた。
中田と吉本がどの時期に揉めたのかについては言及しなかったが、過去にYouTubeでの収益に関して揉めたことをお笑いコンビ・千原兄弟の千原ジュニアとの対談で明かしている。
「中田がYouTubeで食べていけるほどの収益が出始めた頃、吉本もYouTubeに参入。その際に中田のYouTube収益に関して会社が管轄するかどうかが議題に上がったそう。中田は自身のYouTubeチャンネルはゼロから自分自身の手で生み出したものという自負があり、対して吉本は所属芸人のYouTubeチャンネルはすべて管轄することになったため、中田だけ特別扱いはできないと主張し対立。半年ほど話し合いが続いた結果、吉本側から退所を打診され、それが辞めるきっかけになったとか」(芸能記者)
ともあれ、テレビから消えることになったものの、中田のほうには吉本を辞めた後悔はなさそうだ。
(柏原廉)