6月29日、2013年上半期のNHK朝ドラ「あまちゃん」第76話が再放送され、1980年代中期のアイドル事情が紹介された。
主人公・天野アキ(能年玲奈)の母・春子(小泉今日子)がアイドルを目指して上京した84年夏。ナレーションで「路上ではとんでもない格好で若者が踊ってたり」と紹介されたのは、原宿の歩行者天国で踊る“竹の子族”だ。
「竹の子族は70年代末に発生し、名前の由来は原宿・竹下通りの『ブティック竹の子』で購入した衣装を着用していたことにあります。代々木公園横に設けられた歩行者天国でラジカセを囲み集団で踊っていた彼らは社会現象となり、そこから芸能界入りした若者もいたのです」(芸能誌ライター)
歌手・俳優として活躍し、36歳の若さでこの世を去った沖田浩之も、竹の子族出身だ。沖田は若者雑誌で特集が組まれるほどの人気で、やがて芸能事務所にスカウトされ芸能界入り。80年から81年にかけて放送された「3年B組金八先生」(TBS系)の第2シリーズにツッパリ生徒・松浦悟役で出演すると一躍大ブレイク。翌81年3月、その「金八先生」最終回の目前にシングル「E気持」で歌手デビューを果たした。
「『金八先生』では前年に放送された第1シリーズから田原俊彦・近藤真彦・野村義男の“たのきんトリオ”がブレイクするなど、ジャニーズ事務所所属のアイドルが出演するイメージがありますが、スターダストプロモーション所属の沖田は、“非ジャニーズアイドル”として人気を獲得した存在だったのです」(前出・芸能誌ライター)
竹の子族出身の芸能人と言えば、清水宏次朗も忘れてはならない。原宿で踊っているところをスカウトされた清水は、『竹宏治』という芸名で81年にデビュー。沖田から遅れること3カ月後、シングル「舞・舞・舞(まい・まい・まい)」で歌手デビューした。
「沖田と違い、竹は竹の子族であることを衣装や歌詞でも前面に押し出していました。芸名も“竹”だから徹底しています。残念ながらほとんど売れませんでしたが、84年に本名の清水宏次朗で再デビュー。再デビューシングル『ビリー・ジョエルは似合わない』は、今回の『あまちゃん』でも名前が登場した秋元康氏が作詞しています。俳優としては85年に映画『ビー・バップ・ハイスクール』に出演。仲村トオルと共にブレイクしました」(前出・芸能誌ライター)
さて、「あまちゃん」内で竹の子族とともに映像が紹介されたのは「一世風靡セピア」。83年に結成された男性路上パフォーマンス集団「劇男一世風靡」(げきだんいっせいふうび)から派生したユニットで、メンバーには現在も俳優として活躍を続ける小木茂光、哀川翔、柳葉敏郎らがいた。
「『あまちゃん』のナレーションで『ソイヤ、ソイヤ』と叫んだり”と紹介されたのは、84年6月25日に発売された彼らのデビューシングル『前略、道の上より』のこと。8月頃からヒットし始めましたので、ちょうど若かりし頃の春子(有村架純)が上京してきた頃ですね」(前出・芸能誌ライター)
さて、目標にしていたアイドル発掘番組が打ち切りとなり途方に暮れた春子は、1年後の85年、原宿の純喫茶「アイドル」でアルバイトの日々。店主の甲斐(松尾スズキ)はアイドルを目指す春子の良き理解者。TVに出ているおニャン子クラブを見て、「こいつらがテレビに出れて、何で春ちゃんが出られないんだろうね」と、ぼやくのだったが-。
「甲斐はなかなかのアイドルオタクぶりを発揮します。このシーンではおニャン子の6番とか9番は微妙と言い放ち、4番より春子のほうが歌がうまいと言うのです(笑)。この番号は秋元康プロデュースのおニャン子クラブのメンバー個々に与えられた会員番号。6番の樹原亜紀と9番の名越美香は、その後、ともにグループ内ユニット『ニャンギラス』でも活動します。4番の新田恵利はデビュー時のセンター。おニャン子初期の中心メンバーでした」(アイドル誌デスク)
同グループは85年4月に放送開始した『夕やけニャンニャン』(フジテレビ系)に出演していた現役女子高生グループ。やはり社会現象となり、アイドルがより身近な存在、そしてソロアイドルからグループアイドルへと芸能界の流れを変えた存在でもあった。
素人全盛時代が訪れる中、オーディションでは審査員から「素人っぽくないよね」と評される春子にとっては受難の時代だったと言えそうだ。
(石見剣)