なにわ男子といえば、関西ジャニーズJr.(現・関西ジュニア)出身のキラキラ系。デビュー直後にTikTokで大バズリしたことで、またたく間にトップアイドルの仲間入りを果たした。ところが、メンバーの半数は苦労人。特に、関西ジュニアのフロントメンバーに位置しつづけた西畑大吾は、何度も涙を飲んでいる。
なにわ男子は2004年の関ジャニ∞(現・SUPER EIGHT)、14年のジャニーズWEST(現・WEST.)に続く関西発のCDデビューグループ。前身は、西畑をリーダーとした「なにわ皇子」(結成時は「Naniwa Oji」)だった。メンバーは、「Na」の永瀬廉(King & Prince)、「ni」の西畑、「O」の大西流星(なにわ男子)。大西はオーディションで合格したわずか1カ月後に加入。11歳の小学生で大抜擢だった。
ライバル関係にあったのは、向井康二(Snow Man)、平野紫耀(Number_ i)、金内柊真(芸能界を引退)による「KinKan」。両グループの6人が中心となって、15年にBSフジで関西ジュニアだけによる初のレギュラー番組「まいど!ジャーニ~」がスタートした。
ところが、その年に平野と永瀬が拠点を東京に移した。それによって、2グループは自然消滅。西畑と向井に室龍太、大西を加えた4人が繰り上げトップの形となって、関西を支えていくこととなった。次期スター最有力候補だった平野が抜けた穴は大きく、「関西は焼け野原」とヤユされた。関東ジュニアのように常設の稽古場はなく、会議室のスペースを間借りしたことも。低すぎる天井に、舞台で振る巨大フラッグが何度もぶつかった。資金もなく、衣装は先輩のお下がり。変色、ほつれも多かったが、文句を言えるスタッフさえいなかった。
「15年8月に大阪・松竹座でジュニア恒例の舞台『少年たち』が上演されたのですが、これがまさかのソールドアウト。それを関係者から聞かされた時、西畑と向井がリハーサル室ですごく大きなハイタッチをしたのは、もはや伝説となっています。ちなみにその舞台には、後になにわ男子、Aぇ!Groupに選出される面々も出ていました」(アイドル誌記者)
18年に、なにわ男子が結成。選出メンバーに、それまでの関西ジュニアを引っ張ってきた向井はいなかった。そのおよそ3カ月後の19年1月、向井はSnow Manに電撃加入。翌20年にCDデビュー。なにわ男子のCDデビューはその翌21年で、2人は出会いから10年目にして“メジャー”の殊勲を獲得できた。
「辛酸をなめたせいか、西畑のメンバー愛が強すぎる。弟のようにかわいがってきた大西が二十歳の成人式を迎えた時は、2人の思い出の手作りアルバムをプレゼントしたそうです。もらった大西の感想は、『(気持ちが)重っ!』。今は、どんな返礼をしていいのか悩んでいるとか」(前出・アイドル誌記者)
“焼け野原”から紅白出場歌手になってみせた西畑。過剰な愛情で、“うざい男子”として煙たがられないことを願いたい。
(北村ともこ)