今回の〝渡船に乗ろう〟は群馬県邑楽郡千代田町赤岩地区と埼玉県熊谷市葛和田地区を結ぶ、利根川の渡船にした。一般的には赤岩渡船(赤岩の渡し)と呼ばれるが、熊谷市では葛和田の渡しと呼ぶ。同じ渡船で異なる名前を持つところは、県を跨ぐ渡船らしい。
どちらの渡船場も最寄駅からはバス利用になる。今回は便数の多い熊谷市側から向かった。JR熊谷駅北口から葛和田行きバスに30分ほど乗り、終点の葛和田で下車。バス停は河川敷にあり、車外に出た途端、ビューと風を切る音が頭上から聞こえた。見上げるとグライダーが滑空場に着陸するところだった。
右側に見える妻沼滑空場は1963年に開設された日本学生航空連盟の訓練場で、滑空時間、飛行回数ともに日本一を誇る〝学生グライダーの聖地〟だ。
せっかくなら離陸も見たい。グライダーはエンジンがないので、飛行機で曳行するか、機体につないだワイヤーロープを滑空場の端に設置したウインチで巻き取り、その勢いで離陸させる。ここではウインチ曳行が採用されていた。
大学生たちがきびきびと動き、準備は完了。いざ、発進すると、物々しい音も立てずにスッと上空に舞い上がった。ジェット旅客機の離着陸とは大違いで、何とも優雅なものだ。
滑空場から5分ほど歩くと荻野吟子記念館がある。荻野吟子は1851年、この地の名主の家に生まれた。結婚後、自らの体験から女性医師の必要性を痛感。女性には閉ざされていた医師への道を切り開き、1885年に日本初の公認女性医師になる。
女性の権利向上などにも尽力し、渋沢栄一、塙保己一とともに埼玉三偉人として称えられている。記念館ではその人生をスタッフが解説してくれた。
「利根川の対岸にある光恩寺には、荻野家の長屋門が移築されています。吟子さんはその門をくぐって上京し、難関の試験に合格したことから〝受験合格の門〟と受験生に人気です。渡船があるので、ひと足のばしては」
いかん、いかん。旅の目的を忘れかけていた。先のバス停まで戻り、渡船の説明板を読む。渡船は千代田町側に待機し、熊谷市側からは黄色の旗を上げると迎えに来る。歴史は古く、戦国武将・上杉謙信の文献にも登場するそうだ。
旗を上げるとほどなく渡船が動き出した。旗を降ろして、渡船場まで100メートルほど歩くと渡船がゆるゆると近づいてきた。
内田晃(うちだ・あきら):自転車での日本一周を機に旅行記者を志す。街道、古道、巡礼道、路地裏など〝歩き取材〟を得意とする。