タレント・野呂佳代が同じ事務所の先輩芸人である有吉弘行からの叱咤を振り返り、それを乗り越えたことで現在の自分があると語っている。
かつてはAKB48やSDN48のメンバーとして活動した時期がある野呂だが、SDNは加入からわずか2年半での解散となり、26歳にして仕事がほぼ無くなってしまう時期があったという。12月18日、「1周回って知らない話3時間SP」(日本テレビ系)で当時を懐かしんだ。
野呂は「腐りたくないんですけど、いろいろと不具合が自分の中で生じてきて、だんだん腐ってきてて、“どうして?どうして?”って言っているうちにバーンっと腐っちゃうタイプ。“このまま終わっちゃうのかな?”って」と、ドン底時代の心境を表現。
「年齢も30手前で、やりたい事とは全然違うなって。ここからどんな未来があるのかも見えなかった」といい、主にパチンコ店での営業で生計を立てる日々だったが、そこで浴びたのが有吉からの“喝”だった。野呂は、芸能界での進路に悩むタレントが有吉に相談をするという企画に出演し、「仕事もパチンコ番組で食いつないでいて、私はこの先、何をやればいいんですか?」と尋ねたところ、有吉からは「だったら、そのパチンコ番組を全力でやれよ!バーカ!」との強い言葉が返ってきた。
これが当時の野呂には深く染みたのだといい「今やれる仕事を全力でやろう!」と心境に変化が。「人間的に腐りに腐っていた時期もあったんですけど、それを乗り越えられたのが今につながってると思います」とも語っている。
「有吉自身、22歳の頃に『進め!電波少年』(日テレ系)のヒッチハイク企画で大ブレイクするも、ほどなくしてブームが去り、『旅から帰ってきてからは10年間、面白くないと言われ続けた』といい“地獄の時代”を味わっています。その間、あまりにも仕事のオファーがなく、空腹時には、ダチョウ倶楽部・上島竜兵さんに連絡して食事をご馳走してもらい、何とか飢えをしのぐような生活に。そのツラさから、再ブレイク後には“どんな仕事のオファーも絶対に断らない”との信念のもと、芸能界で必要とされるありがたみを感じていたようで、野呂の『パチンコ番組で食いつないで』という表現には、引っかかるものがあったのでしょう。ただ、野呂が有吉から相談を受けた、2013年放送の『ロンドンハーツ』(テレビ朝日系)の『有吉先生のタレント“マジ”進路相談』では、野呂以外にも様々なタレントが彼に相談しており、多くが再ブレイクを果たせないままフェードアウトしています。そのため、有吉による助言のおかげもありますが、野呂自身に何とか状況を打破したいという強い想いがあったことも大きいのではないでしょうか」(テレビ誌ライター)
今ではバラエティー以上に、演技派女優として様々な映画やドラマに出演している野呂。SDN48出身のOBでは最も成功したケースといえる活躍ぶりで、有吉と同様、“地獄を乗り越えた”タレントだけに許されるタフさを備えていると言えそうだ。
(木村慎吾)