2016年12月31日をもって解散するSMAP。17年9月までの契約期間が切れた後の芸能活動が気になるところだ。
そこで、これまでジャニーズ事務所を退所していったタレントのその後を追ってみた。
まず、2016年にファンを騒然とさせたのは、5月1日の東京ドーム公演を最後にグループ活動を停止したKAT-TUNだろう。KAT-TUNといえば、メンバーの脱退ばかりが話題になったジャニーズでも異例のグループ。結成当初の6人から半分の3人にまでなってしまった結果の活動停止だった。
まず、亀梨和也(30)との2枚看板を張っていた赤西仁(32)が、表向きは「ソロ活動をしたい」との希望から、10年8月末をもってグループから抜けた。その理由については、「人間関係のもつれではなく、あくまでも方向性の違い」と説明。しかし、その内実は“グループ結成時からの確執”と言われている。
かつてのジャニーズ担当記者が、当時のことをこう話す。
「KAT-TUNの結成は01年なんですが、CDデビューできたのは06年でした。CDが出せなかった5年間は、メンバーも相当不安だったことでしょう。そんなある日、記者から『CDデビューはいつになるか?』という話題が振られたことがあったんです。すると亀梨は『俺のソロでよくないっすか?』と言い放った。まあ、これは亀梨流の“記事の見出し向けのサービスコメント”だったと思いたいですが、他のメンバーは明らかにイヤ~な顔をしていましたね。」
さらにこの頃亀梨は、05年にドラマ『野ブタ。をプロデュース』(日本テレビ系)でダブル主演した山下智久(31)と期間限定ユニット『修二と彰』を組み、主題歌の『青春アミーゴ』を発売したんです。するとこれがミリオンセラーに達するほどのセールスを記録してしまった。KAT-TUNとしてCDデビューする前に『修二と彰』でデビューを果たし、しかも大ヒットを飛ばした亀梨に、赤西や他のメンバーは相当不満を抱いていたようです」
特に、赤西の不満は「嫉妬に近い感情だった」と続ける。
「『野ブタ~』の前に放送された『ごくせん』(日本テレビ系)の第2シリーズで亀梨と赤西が共演した時点では、赤西のほうが人気も知名度も上でした。それなのに『野ブタ~』以降、あっさりと逆転されてしまった。そのうえ追い打ちをかけるようなミリオンヒットですからね。このときすでに“ゆくゆくは俺はソロで‥‥”という思いはあったようです」