昭和の時代にデビューしたアイドルは、必ずキャッチフレーズを付けられた。もっとも有名なところでは井森美幸。「井森美幸16歳、まだ誰のものでもありません」だったが、48歳になった今もまだ誰のものにもなっていない独身であるため、イジられる対象になっている。
実はジャニーズタレントにもさまざまなフレーズがあった。ジャニーズの場合は、ジャニー喜多川社長がフレーズとグループ名を決めてきた。アイドル事情に精通するフリーエディターに話を聞いた。
「たのきんトリオもジャニーさんの発案です。田原俊彦の“た”、野村義男の“の”、近藤真彦の“近”を“きん”と読ませたものでした。キャッチフレーズで有名なのは光GENJI。1987年にデビューしたときは、『超新星からのメッセージ』と付けられました。デビュー曲が『STAR LIGHT』だったので、星がマストだったんでしょうね。翌88年にデビューした男闘呼組は、『ジャニーズ事務所の落ちこぼれ』。自虐的ですが、不良っぽさがセールスポイントだったので、これで正解なんです」
1989年に結成、1991年に歌手デビューしたSMAPは、周知の通りSports、Music、Assemble、Peopleの頭文字を取ったもの。昨年末の解散時、ジャニー氏は、「素晴らしい(S)、メモリー(M)、ありがとう(A)、パワー(P)」と発言しているが、その切り返しのセンスも抜群だ。SMAPのキャッチフレーズは、「光GENJIの弟分」。これはぶっちゃけ、手抜き感が否めないが。
「キャッチフレーズが存在した最後の世代が、1994年デビューのTOKIO。『ダテに待たせたワケじゃない』でしたが、それはジャニーズJr.だった期間が長かったため、そういうフレーズが必要だったんです」(前出のフリーエディター)
キョンキョンも明菜も、聖子も付けられたキャッチフレーズ。アイドル歌手全盛のあの時代が懐かしい。
(北村ともこ)