すでに当たり前になっていて、もはや誰も疑問を抱かない関ジャニ∞の「∞」。ジャニーズグループには、タッキー&翼、King&Princeのように「&」、KAT-TUN、Kis-My-Ft2、A.B.C-Zのように「‐」といった記号が入る前例はあるが、「∞」はおそらく、関ジャニが最初で最後だろう。「8」の意味もあったこの記号には、関ジャニの悲しくも辛い歴史が隠されている。
そもそも関ジャニ∞はKinKi Kidsに続く関西発のジャニーズグループとして、関西ジャニーズJr.から8人が選抜された。02年、ローカル番組『J3KANSAI』(関西テレビ)にレギュラー出演。8人が関テレの8チャンネルに出たということで、グループ名に「8」を横転させた「∞」が足された。“無限大の可能性”という意味もあった。
「実際に『関ジャニ8』『KANJANI8』と表記された時代もありましたが、人気・知名度が高まったころに現在の名前に落ちついています。そして04年8月、関西限定CDシングル『浪花いろは節』でデビューするのです」(女性誌記者)
関ジャニはデビュー時には8人だった。現在、舞台を中心に活動している俳優の内博貴が、初期メンバーに入っていたのだ。
「内は、03年に錦戸亮と一緒にNEWSに加わり、04年に関ジャニと掛け持ち。ところが05年、NEWSとしてスペシャルサポーターを務めていた『女子バレーボールワールドグランプリ』の中継で訪れた仙台市で、フジテレビの女性アナウンサーらと数名と飲酒。当時は18歳だったため、謹慎処分に。わずか1年で7人体制になってしまいましたが、メンバーは内が帰ってくることを願っており、関ジャニの東京ドーム公演では観客席にいた内を錦戸がステージに上げ、フルメンバーで手をつなぐ感動シーンが生まれています」(前出・女性誌記者)
ところが、内は06年に研修生として活動を再開したあと、関ジャニには戻らず、バンド「内博貴 with Question?」としてツアーを完走。09年には、ソロで東京・日本武道館のステージに立って、大成功を収めている。
今では、KinKi Kids・堂本光一の座長ミュージカル「Endless SHOCK」に出演するまでになった。もう関ジャニに戻ることはないが、「∞」には内のDNAも流れているのだ。
(北村ともこ)