V6の井ノ原快彦といえば、今期クール連ドラの視聴率王。故・渡瀬恒彦さんが主演だった「警視庁捜査一課9係」(テレビ朝日系)からタイトルが変更され、新シリーズとなったドラマ「特捜9」が絶好調。今では、テレ朝を支える重要な番組に成長した。
今年3月までは「あさイチ」(NHK)のメインキャスター。終了後の翌4月には、高視聴率ドラマの主役。タレントとしてノリに乗っている。
「NHK朝の顔となったことで、好感度がグンと上がったイノッチ。そんな彼に感謝してもしきれないジャニーズタレントがいます。それはメンバーの岡田准一。彼が6人目のV6になれるよう導いたのがイノッチなんです」(アイドル誌ライター)
岡田は地元・大阪の中学校に通っていた95年、「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」(日本テレビ系)の企画“ジャニーズ予備校オーディション”でグランプリを獲得。その数カ月後、すでにジャニーズJr.として活動していた井ノ原、坂本昌行、長野博と、“剛健コンビ”でJr.人気のトップだった森田剛&三宅健で新グループV6が結成されることになった。
「バレーボールワールドカップ1995」のイメージキャラクターを務めること、デビュー曲の「MUSIC FOR THE PEOPLE」がタイアップソングになることも、同時に決まった。ところが、最後の1人が決まらない。そこで急きょ、オーディションが開かれた。
「バレーボールの練習場がオーディション会場になりました。すでに仲良しのJr.たちは、輪になって練習していました。しかし、関西から上京したばかりで友達がいない岡田は入れなかった。そんな彼に話しかけて輪に入れてあげたのが、審査員の1人だったイノッチなんです。そんなところにジャニー喜多川社長が偶然訪れ、先輩に混ざって黙々と練習する岡田を見て『バレーやってんの、あいつだけじゃないの!』と指さして、メンバー入りを決めたのです」(前出・アイドル誌ライター)
23年前のあのとき、井ノ原が岡田を輪に加えていなければ、後の名優・岡田准一は誕生しなかったかもしれない。井ノ原のおかげで“WAになっておどった”ことで今の岡田がある。
(北村ともこ)