King&Princeのデビューによって、ジャニーズJr.にも注目が集まることとなった。単独コンサートで大きな会場を満員にできるほど、人気は右肩上がり。そんなJr.人気の礎は90年代後半、滝沢秀明を中心に後の嵐、関ジャニ∞ほか多くのメンバーによって築き上げられた。
当時はまだ、中・高校生だった彼ら。テレビ業界の“お約束”を知らなかったため、大人を困らせたこともあったという。
「98年にゴールデンタイムで、『8時だJ』(テレビ朝日系)がスタートしています。現在でも親交が深いタレントのヒロミが、まだヤンチャだったJr.たちをまとめる立場。当時のJr.のトップは滝沢でした。初回、チャレンジ企画『J-1グランプリ』というのがあり、ハワイのハーフマラソンに参加した25名のJr.が本気で競い合った。トップでゴールしたのは、当時まったく無名の丸山隆平で、2位が安田章大。大番狂わせでした」(女性誌記者)
局側としては、売り出し中の滝沢か、翌年に嵐となる5人のうちの誰かが上位に食い込んでくれるものと信じていた。ところが、1位と2位は当時、関西ジャニーズJr.のなかでも地味な2人。スタッフの焦りは相当なものだったという。
「放送の尺が余ったので、丸山と安田が最下位だった松本潤のもとに駆け寄って、ラストランに伴走。そういう演出で優しさを見せて、なんとか時間を繋いだ。局側としては、そのマツジュンに上位になってほしかったようですが」(前出・女性誌記者)
丸山は陸上部で、安田は運動神経抜群。関西からわざわざ渡米したこと、さらにめったにないゴールデンタイムで爪痕を残そうと必死になった結果の“惨劇”といえよう。もちろん頑張った2人が事務所や番組スタッフから怒られることはなかったものの、離れた所で多くの大人たちがザワついている光景は目の当たりにしている。
20年前、できあがりつつあった嵐と関ジャニのライバル関係。丸山と安田にとっては、忘れたくても忘れられない悲しい歴史かもしれない。
(北村ともこ)