関ジャニ∞は生半可なお笑い芸人よりも、お笑いスキルが優れているといっても過言ではない。生まれ育った関西で10代のころから関西ジャニーズJr.として、よしもと芸人をはじめ多くの芸人に揉まれてきたからだ。
今では、ジャニーズタレントのバラエティ班の筆頭格となった村上信五は21歳のころに、その下地を築いている。「中学生時代からひょうきん者だった村上は、高校受験の際、大阪NSC(よしもとクリエイティブ・エージェンシーが運営する芸能養成学校)に通うかジャニーズへ行くか、悩んだそうです。でも、V6がデビューしたころに仲間から『むっちゃんも(ジャニーズに)イケるんちゃう?』と背中を押されて履歴書を送ると、見事合格。入所後、話術が達者な長所を生かして、弱冠21歳で関西ローカルの番組『モモコのOH!ソレ!み~よ!』(カンテレ)のレギュラーメンバーに抜てきされています」(エンタメ誌ライター)
関西では大人気の情報番組に村上は、ジャニーズ史上最長となる9年半にわたってレギュラー出演。このころ、飲み仲間でプライベートでもしょっちゅう一緒だったタレントの内山信二に、意外な本音を漏らしている。
「酔っぱらうと村上くんは決まって、『おもろなりたいんや~』と始めるそうです。続けて、『(明石家)さんまさんになりたい』、『(島田)紳助さんになりたい』と、番組のメインMCになりたい夢を口にするそうです」(前出・エンタメ誌ライター)
村上が20代前半に思い描いた夢は、30代になって実現する。残念ながら島田紳助氏は芸能界を引退してしまったが、さんまとはバラエティ番組で対等に張り合えるようになった。さらに“東の巨頭”であるビートたけしとは、「FNS27時間テレビ」(フジテレビ系)で17年と18年の2年にわたって、総合司会として共演している。
さんまになりたかった村上信五。ジャニーズタレントらしからぬ目標だが、よしもとの後輩芸人になり損ねた村上にとっては、当然の想いなのかもしれない。
(北村ともこ)