ジャニーズタレントで、高学歴ニュースキャスターという新路線を切り拓いたのは嵐・櫻井翔。慶應義塾幼稚舎にはじまり、慶應義塾普通部(中学校)、慶應義塾高校、慶應義塾大学経済学部とまるで大臣さながらのエリートコースだ。ジャニーズの慶應ボーイ&ニュースキャスター第1号としても知られる。
中学生時代にジャニーズに入所して、高校時代に嵐が歌手デビュー。大学時代は両親と約束した学業との両立を果たすべく、睡眠時間を惜しんで猛勉強し、首席で卒業している。まさに努力の賜物だが、その陰には母・洋子さんの協力が大きいという。
「当時の慶應の高1は、素点が5.5以上なければ、留年確定とされていました。櫻井は前期の中間試験で4.6、期末に向けて勉強したら5.1に上がったのですが、まだ足りない。その紙をお母さんに見せたら、『4.6から5.1まで上がってるの、すごいじゃない!』と称賛。留年危機であることより、まずは褒めたそうです。結局、後期の試験でさらに上げ、トータル5.7で進級できました」(芸能記者)
跳躍の裏にあったのは、子を思う母の愛だ。「オレ、留年するよ」と打ち明けられた洋子さんは、寝ずに朝まで試験勉強に付きあったのだ。櫻井がJr.の仕事を終えて帰宅するのは、だいたい21時から22時。そこから洋子さんは、疲れでウトウトする息子の体を揺さぶって起こしながら、勉強を教えた。
「『VS嵐』(フジテレビ系)や『櫻井・有吉THE夜会』(TBS系)で、櫻井本人から豪快すぎる母の実話が数多く明かされていますが、洋子さんは我が子が国民的アイドルとなっても大ファン。それでも時には厳しく、『news zero』(日本テレビ系)の生放送終了後、深夜0時すぎに『今日はちょっと噛みましたね』とメールを送信してきたこともあったそう」(前出・芸能記者)
このエピソードを櫻井が番組でおもしろおかしく言うと、以降はピタリとメールが途絶えたという。
洋子さんは料理が不得意だったため、お弁当が白ごはんに納豆という日があった。引っ越しのときに手伝わなかった櫻井への憤りを、2階から私物を外に投げることで示してみせたなど、笑える伝説が多い洋子さん。そんな母の教育方針によって、稀代のエリートジャニーズは誕生したのだ。
(北村ともこ)