ついにラストイヤーを迎えた嵐。大野智。メンバー最古にして最年長(39歳)の大野智は、「頼れないリーダー」として知られている。そんな大野の「休みたい」という意思を尊重して、嵐は活動を休止する。それでも大野がまったく責められないのは、人徳と才能といえよう。
加えて以前から辞めたがっていたことも理由のひとつ。大野は10代のころから、退所を希望していた。嵐のデビュー前、ジャニー喜多川元社長にもその旨をはっきり伝えている。
「ジャニーさんもそれは知った上で、嵐の歌唱力とダンス補強のために、大野を手放しませんでした。嵐結成前、『レコーディングするから来て』と呼びだし、現れた大野に『A・RA・SHI』の歌詞を渡しました。大野パートが書かれたものをです。大野は、『いやっ、ジャニーさん。俺、ダンスをしたくて(事務所に)入ったけど、もう極まったから辞めたいんだけど…』とそのときにも伝えています」(アイドル誌ライター)
ジャニーズJr.だった16歳から18歳にかけて、大野はミュージカル『ジャニーズ・ファンタジー KYO TO KYO』の看板役者として、慣れ親しんだ関東から京都に移住した。千秋楽を終えて帰京すると、燃え尽き症候群に陥る。そのとき、嵐デビューの話が持ち上がった。受理すると辞めるチャンスを逃すと思い、無視した。携帯電話の電源を切って、メンバー、事務所のスタッフからおよそ2週間も逃げた。
「このあと、櫻井翔は驚きの言葉を耳にしています。大野と一緒に夜の恵比寿を歩いていたら、多くの飲み屋が入ったビルをジーッと見つめていたそうです。櫻井が『どうしたの?』と聞くと、『ホストになろうと思ってさ』とつぶやいたというのです。それを大野さんは、事務所のスタッフにも伝えたと明かし、櫻井は仰天したとか。もっともスタッフから『それだけは止めてくれ』と当然、強く却下されたそうですが」(前出・アイドル誌ライター)
95年、ジャニー氏はフジテレビ系「バレーボールワールドカップ95」のイメージキャラクターでV6をデビューさせることが決まったときも、大野に「YOU、バレーボールできる?」と聞いている。経験がなかった上、「できます」と答えるとバレーボール関連の番組を“やらされる”と思い、「できません」と答えた。これによって、V6のラストの6人目のメンバーは岡田准一に決定した。
25年ものアイドル人生の中、常に辞めたがっていた大野。彼は来年にほしかった自由を得る。その時何をするのか。ホストでないことだけは確かだ。
(北村ともこ)