●ゲスト:中田喜子(なかだ・よしこ) 1953年、東京都生まれ。麹町学園女子高を卒業後、72年に時代劇「お祭り銀次捕物帳」(フジテレビ系)で芸能界デビュー。74年、ドラマ「やっちゃば育ち」(TBS系)のヒロイン役で注目される。NHKのクイズ番組「連想ゲーム」では紅組キャプテンとして長く親しまれ、以降テレビ、舞台、映画などで活躍を続ける。人気ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」(TBS系)では三女・文子役を20年以上にわたって演じている。93年、舞台「御いのち」で第19回菊田一夫演劇賞を受賞。趣味が高じて「毎日が発見」(角川マガジンズ)にてDIYページを連載中。今月17日から出演ドラマ「ゆとりですがなにか」(日本テレビ系)がスタートする。
テレビや舞台などで幅広く活躍、そしてあの人気ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」の三女・文子役を20年以上にわたって演じ続けた中田喜子。デビューのきっかけ、気になる「渡鬼」裏話、意外な趣味など飾らぬ素顔も魅力的だが、天才テリーはそんな彼女に1つだけ苦言を呈して!?
テリー 中田さんは(東京の)築地の生まれなんですよね。どこですか?
中田 親のお店は築地市場内で、家は新富町のほうですね。
テリー そうか、僕は築地の場外なんですけど、まぁ近所といえば近所ですよね。で、ご兄妹は?
中田 5人姉妹のいちばん末っ子です。
テリー 5人も! 両親は大変だったね。
中田 「次は男の子を」って頑張ったらしいです。でも、ついに私であきらめたみたいで(笑)。
テリー そのくらいだと、もう付録みたいに考えられてたんじゃない?(笑)
中田 ホントにそうだったみたいですよ(笑)。でも、「親をとても助ける子供が生まれてくる」って父がどこかで聞いてきたそうで、だから「喜子」って名前を付けてくれたんです。
テリー なるほど。しかし、上にお姉さんが4人もいると、洋服とかってお下がりが回ってくるんじゃないですか?
中田 普通はそうですよね。でも、お古って5人目まではもたないんですよ。
テリー そうか、4人も回ってたらボロボロになっちゃうね。
中田 だから、私はいつも新品の服。すぐ上のお姉さんは、いつもひがんでましたね(笑)。
テリー 日本経済が上向いていた時代とはいえ、当時はまだ貧乏な家が多かったし、子供の頃はなかなか服なんて買ってもらえなかったけどね。
中田 ところが、うちは成金組なんですよ。なんでも、畳の上にお札を敷いていたそうですよ(笑)。
テリー えっ、うちなんかずっと貧乏だったよ! 何かで大儲けしたんですか。
中田 おじいさんが、さつま揚げを電気で焼いて作る機械を発明したんですよ。さつま揚げって、普通は油で揚げるんですけど、戦後間もない頃に油が手に入らない時があったみたいで、その機械がすごく売れたらしいです。
テリー すごいな、成金って言いますけど、どんな生活をされていたんですか?
中田 木造3階建の家に住んで、お手伝いさんが何人もいました。2階には大広間があって、そこで親族が結婚式をしたそうです。
テリー じゃあ、「蝶よ花よ」と育てられたんだ。
中田 私が生まれた頃には、そろそろ傾いてきた感じだったんですけど、姉たちの時はほんとに裕福だったみたいですね。特に、のちに宝塚(歌劇団)に入ることになる姉は、とにかく宝塚に夢中でよく通ってました。
テリー 中田さんのお姉さんだったら、年齢は俺ぐらいだよね? 当時、そんなことしてるヤツ、クラスにひとりもいなかったよ。あの頃、築地のあたりで「宝塚」なんて言葉、一度も聞いたことないもん。
中田 すみません、いいとこの娘だったので(笑)。
テリー ハハハ、お姉さんも美人なんでしょう?
中田 どうなんでしょう。でも、目鼻だちは似ていますね。
テリー じゃあもう、ご近所じゃ有名な美人5人姉妹だったんだ。
中田 そんなことないんですよ(笑)。でも、私の父は本当に美男子だったんですよ。銀座のおねえさんたちにモテて大変だったっていうのは聞きました。
テリー いいなぁ。何から何まで、うちとは違うよ。