嵐・松本潤は、メンバーやファンから愛情をこめて「MJ」と呼ばれている。松本の「M」に、潤の「J」。およそ7年前、二宮和也が「J」と呼び出したのがルーツとされている。故・ジャニー喜多川社長が世界一のスーパーエンターテイナー、マイケル・ジャクソンことMJをリスペクトしていたことから、松本も「MJ」と呼ばれた。
松本“MJ”も“本家”に負けないような、伝説の持ち主だ。
「そもそもマツジュンは、ジャニーズ入りの際にオーディションなしで入所した特待生。小学校の卒業式を終えてすぐ、お姉さんと履歴書を書いて郵送すると、『いま六本木のテレ朝でやってるから、YOUも来ちゃいなよ』とジャニーさんから直接電話がかかってきて、そのままジャニーズJr.に加わりました。学生時代、クラスの女子全員からバレンタインデーにチョコレートをもらった奇跡の美少年。ジャニーさんも一発でほれ込んだのでしょう」(アイドル誌ライター)
嵐としてトップアイドルになってからは、伝説が加速。私服はハリウッドスターさながらの超ド派手。飲んだ席で、親友と大喧嘩したこともある。
「その相手は小栗旬。小栗の主演舞台『時計じかけのオレンジ』(11年)の終演後、キャストやスタッフさんと和気あいあいと飲んでいた店に、ほろ酔いの松本が突如乱入。2人は芝居について熱く語り、『俺はこんなやつらの舞台を観にきたんじゃねぇんだよ!』と言いだした松本とつかみ合いになったそうです。仲がいいからこその喧嘩ですが、周囲の共演者はその間柄を知らない。俳優の橋本さとしは、その時が初対面。“怖い人”という印象を抱いたそうです」(前出・アイドル誌ライター)
その後、橋本は松本と別の場所で再会。テレビで見るとおりの好青年だったことで、安堵したという。
クラスの全女子をトリコにした究極の美少年は、喧嘩っ早いアイドルへ変貌を遂げた。挙げれば枚挙にいとまがないMJ伝説は、今後もアップグレードしていきそうだ。
(北村ともこ)