98年2月6日、三田佳子の会見もまた、レポーター陣は容赦なかった。三田の次男が自宅の地下室で薬物パーティを開いて逮捕され、母親としての責任で謝罪会見に向かった。もっとも三田は会見の前に「未成年だから報道しないでほしい」とマスコミに申し入れていたため、逆に反発を買ってしまう。質問に対しても「少年法を守る立場から思ったことをお話しできない」と終始する三田に対し、「月に50万円もの小遣いを渡して甘やかしていた親」と論調はヒートアップ。
こうしたバッシングが相次ぎ、それまで国民的女優の名を欲しいままにしていた三田は、約3億円ものCM契約をすべて失うことになる。また次男も法律違反の薬物による再逮捕、再々逮捕と続き、さすがの三田もサジを投げた形だ。
そんな薬物中毒で思い起こされるのは99年1月30日、ミリオンセラーを連発していた華原朋美の身に起こった異変だ。弟の携帯に「苦しい」と訴えたため弟が駆けつけると、ガスコンロの栓が全開になっている。部屋中にガスが充満し、救急車を呼んで一大事は逃れた。当時、恋人だった小室哲哉と破局したばかりで、誰もが自死未遂を疑った。
「焼きそばを作ろうとしたらフラッとしてしまって‥‥」
退院後の会見で華原はこう弁明したが、焼きそばの材料も見当たらないなど、あまりにも不自然。さらに、警察の事情聴取に対しては「もんじゃ焼きを作ろうとして」と、メニューそのものが変わっている。華原はその後も搬送騒ぎや事務所からの解雇処分とスキャンダルが続き、完全復帰まで長い時間を要している。